第三話:審食其殺害


淮南王劉長は驕慢となり、度々法を破った。

文帝は「弟だから。」といつも罪に問わなかった。


文帝三年、領国から上京し参内した。

皇弟として振舞い、はなはだ横暴であった。

文帝に従って狩猟に出かけたが、天子の輦に同席し、常に文帝を「大兄」と呼んだ。

いかに皇弟といえども臣下であり、秩序を乱す者として罪に問われる行為だった。

しかし、文帝はこれを寛大に見逃した。


劉長はこの上京でやっておかなければならないことがあった。

母を見殺しにした審食其への復讐である。

劉長は自ら審食其の屋敷を訪ねた。

老いたる審食其が出てくると、怪力劉長は袖の中に隠し持っていた金鎚で審食其の頭を砕き、

従者に首を斬らせた。

すぐさま宮中へ戻り、肌脱ぎになり文帝へ詫びた。

「臣の母は、趙国の謀反(第一話参照)に連座すべき者ではありませんでした。

当時の辟陽侯(審食其)の力なら、呂后を説得して臣の母を助けることぐらいできたはずでした。

しかし、辟陽侯は強いて訴えようとはしませんでした。これが第一の罪です。

また、趙王如意は母子ともに罪が無かったのにもかかわらず呂后は彼らを殺し、

辟陽侯はこれを諌争しませんでした。第二の罪です。

呂后が呂一族を王位に就け劉氏を危うくしたのにもかかわらず、

辟陽侯はこれを諌争しませんでした。第三の罪です。

臣は謹んで天下の為にこの逆賊を殺し、母の仇を報じました。

伏して陛下のお裁きを請う次第であります。」


文帝は劉長の志を傷ましく思い、また唯一の弟でもあるので、再び罪を赦し領国へ帰らせた。


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