第十二話:李陵




李陵は字を少卿といい、学問は司馬遷と同門であった。

司馬遷とは特に親しくなかったが、司馬遷は李陵の人柄を密かに評価していた。

孝子であり、信義を重んじ財を軽んじ、謙譲の国士であったという。


若くして侍中と建章宮監(建章宮の警護。建章宮は太初元年BC104に建築)となった。

恐らく李陵14歳くらいと思われる。


この頃武帝は、経験豊富な将、衛青・霍去病らが次々と病死し危機感を感じており、

有望な若手を実戦に出して成長させようという考えがあった。

李陵は父祖伝来の騎射に長じており、武帝は祖父李広の風格があると見た。

騎兵八百を率いさせ匈奴へ出撃させた。

居延を過ぎ匈奴の真っ只中を進軍し地形等を記録したものの、敵に遭遇せず帰還した。

騎都尉に任命され、長江の南の丹陽郡から来た楚人の騎兵五千人の将となり、

酒泉・張掖の両郡で射術を教え匈奴に備えた。

この五千人はよく李陵に懐き、後に生死をともにした。



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