第三話:陸賈と趙佗 |
漢皇帝の使者として、陸賈が南越に派遣された。 しかし、趙佗は陸賈を皇帝の使者として扱おうとはせず、両足を投げ出したまま会った。 陸賈は、こうなることは百も承知だったので、すかさずツッコミを入れた。 「あなたは中原の人であり、ご両親・ご兄弟のお墓は趙の真定におありと聞きます。 しかし、今あなたは中国の礼儀を捨て、このチッポケな越に拠って天子さまに対抗しようとなされている。 これでは、今にも御身の上に災難がふりかかるでしょう。 また、秦が暴虐な政治を行うと諸侯・豪傑が一斉に蜂起しましたが、 その中でも、高祖さまが真っ先に秦を滅ぼされました。 そして項羽に功績を横取りされ左遷されたのにも関わらず、巴蜀から這い上がり遂には項羽を倒しました。 これこそ人間わざではありません。天意が具わっているというものです。 漢の大臣・大将達は天下取りにあなたが参加しなかったことを責め、あなたを討伐しようとしていました。 しかし、天子さまが彼等を諌めました。『万民は辛苦を舐めたばかりだ。休養させなければならぬ』と。 天子さまは民に情けをかけ軍を動員せず、私を南越に派遣し、ことを平和に解決なさろうとしているのです。 あなたも南越王として民を慈しむならば、漢の天子さまには低頭して『臣』と名乗られるべきです。 それなのに、あなたはまだ足元も固まっていない南越を頼りに、この地で強がっています。 この有様を天子さまが知ったら、あなたの先祖の墓をあばき焼き払い、真定にいる一族を皆殺しにし、 一将軍に10万の兵を率いさせ南越に侵攻させるでしょう。 そうなれば南越の民はあなたを殺し、あなたの首を土産に漢に降伏するでしょう。 このようなことが、手のひらを裏返すより簡単に起きますぞ。」 と、このように理路整然と陸賈はツッコンだ。 趙佗はニヤリと笑った。 そしてパッと身を正して座り直し、陸賈に詫びた。 「それがし、夷狄(異民族)の中で長らく暮していた故、ことのほか失礼をいたした。」 |
それから趙佗は陸賈を厚くもてなし、くつろいだところで人物批評をはじめた。 趙佗「わしの功績と、蕭何・曹参・韓信の三傑を比べると、どちらが優れているだろうか?」 陸賈「ははは。それはあなたの方が優れていましょう。」 趙佗「では、わしと皇帝と比べたら、どちらが優れているだろうか?」オイオイ 陸賈「天子さまは中国を統べ治められ、民は億をもって数えます。 そして、肥沃な土地を占め、人馬も夥しく、万物は豊かに栄えています。」 趙佗「まあ、そうだろうな。」 陸賈「しかし、今あなたに属する民は数十万にすぎません。それも、みな夷狄ではありませんか。 しかも国土は山と海に挟まれ、険阻なことは想像を絶するものがあります。 これでは、天子さまとは比べものにもなりません。」 趙佗「わははは。まあ、そんなとこだろうな。だがな、わしは中国で兵を起こさなかったのだ。 これが運命なのか、わしは南越で兵を起こしたのだ。 もし、わしが中国にいたら、今頃皇帝になっていたかもしれんぞ。」 陸賈「かも知れませんな、ははは。人の運命とはわからないものですな。まったく。 私も楚の出身ですが項羽には仕えず、縁あって天子さまに仕えました。 ほんとうに、わからぬものですなぁ。」 この問答で、趙佗は陸賈をスッカリ気に入ってしまい、南越に引き留めること数ヶ月に及んだ。 その間、酒宴を張った回数は数え切れない程であった。 「南越では話し相手になる者すらいなかった。が、いま陸先生を得た。 しかも、今まで知らなかった中国の情勢歴史を毎日勉強させていただいた。」 と、手放しの喜びようであった。 陸賈が帰国するに及んで、趙佗は値千金の真珠や金銀宝石を陸賈に贈り、感謝の意を表した。 そこで、陸賈は趙佗を南越王に任ずる儀式を行い、漢の臣下として命に従う誓いを立てさせた。 こうして、南越国は一応漢帝国の一員となったのであった。 |