第四話:南越皇帝になる
高祖劉邦が身罷った後、呂后が実権を握った。

ある時、鉄の流通を管理する役人が、

「南越国境の関所で、鉄の交易をするのは今後禁止して欲しい。」と呂后に願い出、認められた。

趙佗はそれを聞いて、「高祖はわしを南越王として認め、使者の往来や交易を認めた。

しかし呂后は告げ口を取り上げ、蛮地を差別し交易を壟断した。これは長沙王・呉右(四代目)の謀略だ。

やつは交易を独り占めして利益を貪るつもりだ。そして中国を後ろ盾として南越を滅ぼし、

併合して支配下に置き、すべて自分の手柄にするに違いない。」と大いに怒った。

そして、南越の武帝と勝手に名乗り、長沙国との国境に猛攻を加え、痛烈に長沙兵を打ち破った。

長沙王・呉右は、都に急使を送り援軍を求めた。

朝廷は騒然となった。南越討伐には隆慮侯周竈(しゅうそう)が向かうこととなった。

周竈は劉邦挙兵から従い、呂后にも馴染みが深い人物でもあり、また有力な侯(次位は34番目)でもあった。

周竈軍は結局、長沙と南越の国境を越えることは出来なかった。

長沙国ですら暑さと湿気の酷い所で、南越に向かう前に兵士の間に疫病が流行してしまい、

国境である峻厳な山脈を越えることはできなくなってしまったのである。

仕方なく周竈は国境に威圧を加えるだけに留め、一年余りそこに滞陣せざるをえなかった。

そうこうしているうちに、呂后が死んでしまった。そして周竈はここぞとばかりに軍を退いてしまった。

趙佗もすかさず、(現在の福建省・江西省の一帯)・西甌・駱(現在のベトナム北部)の諸国に財物を贈り、

それらをあっという間に支配下に置いてしまった。

これで南越の勢力範囲は東西一万里にわたり、漢帝国の脅威となった。

趙佗は中国の皇帝と同じように幌の裏に黄色の絹をはった「黄屋車」に乗り、

命令書には「みことのり」を意味する「制」の字を使った。


趙佗は、老いて益々盛んであったのだ!

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