第八話:漢飛將軍元朔元年(BC128)、匈奴が遼西郡に侵入し太守を殺した。 漁陽・雁門郡にも侵攻し、材官将軍韓安国は漁陽で打ち破られ負傷、 三千人以上が殺害・拉致され家畜は略奪された。 武帝は怒り、韓安国を右北平郡へ左遷したが、安国は恥じて吐血して死んだ。 武帝は経験のある李広を召し出し、右北平郡の太守に任命した。 李広は武帝に上奏し、あの李広主従を侮辱した霸陵の尉を従軍させた。 李広は軍陣へ行き覇陵尉を斬り、武帝に上奏して謝罪した。 武帝は、「敵に報復して害を除き、賊を破って殺戮を去る、これが朕の望みである。 ところが、将軍が冠を脱ぎ裸足になり、地に額をつけて罪を請うのはどうしたことか。 将軍よ、軍を東へ向け、旗を白檀県(漁陽郡)に留め、 右北平郡に匈奴が来襲する盛秋に備えよ。」と罪に問わなかった。 李広が右北平郡に到着すると、匈奴は彼を恐れ「漢飛将軍」(後年、呂布も呼ばれた)と号して避け、 数年は右北平の境界には近づかなかった。 李広は任地で虎が出たと報告を受けると、自ら虎狩りに出た。 ある時、草むらの中に虎を発見し、射た。見事命中し、鏃が深々と突き刺さった。 李広が近づいてみると、なんと石であった。 他日、李広がこの石に射込んでみたが、どうしても矢を立てることが出来なかったという。 李広は右北平でも虎を狩った。虎に躍り掛かられ度々負傷したが、確実に仕留めた。 |