しかし、黄河を渡る前に 当然、韓信は渡河と斉攻撃を中止する命令を軍中に出した。 しかし配下の弁士 |
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| 「韓信将軍は、漢王直々の勅命を受けて斉を攻撃しておられるのです。 それなのに漢王は別に内密の使者を立てて斉を降伏させてしまいました。 その間、韓将軍に進撃中止の勅命がありましたか。ないでしょう。 それならば、どうして進軍を止めることができますか。 それに、 三寸の舌をふるって斉の七十余城を降伏させてしまいました。 韓将軍は数万の軍勢を率いられ、一年余りかかってやっと趙の五十余城を 降伏させたのですぞ。 韓信さまは将軍になられて数年経ちますが、これでは将軍の功績が、 あの青二才学者の手柄に劣るということになりますぞ!!」 |
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| 韓信 | 「うむ。そなたの意見、もっともである。直ちに斉へ軍を進める!!」 |
| 斉では そこへ韓信は攻め込んだ。 当然、斉国境はあっという間に突破され、韓信軍は雪崩の如く斉都臨 斉王田広は、「 田広は |
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| 田広 | 「貴様が、韓信の元へ行って漢軍を止めるよう説得できるなら生かしておいてやる。 さもなければ貴様を煮殺すぞ!」 |
| 「はっはっは!!貴様は『大事を成す為には、詰らぬ気遣いはせぬ。 輝かしい徳ある者はくだらぬ礼儀にはこだわらぬ。』という諺を知らぬか! 何で貴様のために韓信に頼んでやらなければいけないんだ?馬鹿め!! はっはっは!」 |
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斉王田広は釜に火をつけさせ、 翌年、劉邦は項羽を倒し、帝位についた。 『括地志』によると、雍丘県の西南二十八里に 故郷の高陽に程近い場所である。 |
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