第二話:乱世の儒者


沛公劉邦は高陽に到着すると、使者をやってれき食其を呼び出した。

劉邦は儒者が大嫌いだった。容姿にこだわり、礼儀をやかましく言う。

劉邦は農民の苦労をよく知っていたので、

「礼儀なぞ何の役に立つ!礼で飯が食えるか!」と思っていた。

今、呼び出したれき老人は飯が食えずに門番をしているという。

儒者も飯を食う為に苦労するのか、と思うと劉邦はれき食其に親しみを感じた。

しかし、儒者嫌いが先に立ち、れき老人に面当てしてやろうと意地悪く思った。

劉邦は若い妾を二人呼び、たらいにお湯を用意させた。


しばらくするとれき老人が到着したと報告があった。

そこで劉邦は椅子に座ってふんぞり返り、二人の若い娘に足をすすがせた。

(この面当ては後に黥布にも行っている。黥布は屈辱のあまり自殺しようとしている)


劉邦 「おい。もっと、優しく洗わんか。こう、撫でるように。

おうおう。そうだそうだ、ははは。」

謁者 「ただ今、れき食其が参りました。」

劉邦 「うん? そうか。ここへ入れろ。」

謁者 「ははっ。」

劉邦 れきとやら、どんな顔をするかな?ははは。」


れき食其は奥へ入るなり、顔色を変えた。が、劉邦の意図を咄嗟に理解した。

れき食其は、平伏もせずに突っ立ったまま軽く会釈し、いきなり喋りだした。


れき食其 「沛公さまは秦の手下となって味方の将軍達を攻撃するおつもりですかな?

それとも、将軍達を引き連れて秦を撃滅するおつもりですかな?」

劉邦 「んんん、何だと!!今、何て言った。この馬鹿儒者が!!

天下はな、長い間暴虐な秦に苦しめられてきたのだぞ。

それを、『秦の手下となって味方の将軍達を攻撃する』とは何事じゃ!!」

れき食其 「正義の軍を起し、無道なる秦に誅罰を下そうとするお方が、

足を投げ出してふんぞり返り、女性に足を洗わせたまま

年長者に会ってもよいのですかな? 」


れき食其は、これで劉邦が怒りだしたり開き直って言い訳したりするならば、

また高陽の門番生活に戻ろうと思っていた。

しかし沛公劉邦は飛び上がらんばかりに驚き、しきりに非礼を謝り、

衣服を改めてれき食其を上座に据え、年長者の意見を聞く態度を取った。

れき食其は自分の目に狂いは無かったと嬉しくなり、つい熱い思いを語ってしまった。



話が長くなったので、劉邦はれき食其に食事を勧めた。

二人は食事を食べつつ、大いに語った。

れき食其は、自分がまだ幼かった頃の合従連衡の時代を語り、今の時勢と比較し劉邦を感心させた。

劉邦は、儒者は古のことを常に引き合いに出し、役に立たぬ理論をこねくりまわすばかりだ

と思っていたが、れき老人を見て儒者を少し見直した。


れき老人は尚も熱く語った。


「沛公さまは烏合の衆をもって起ち上がられ、今なお雑兵をかき集め、その兵僅か一万あまり。

この寄せ集めを率いて強大な秦へ直行しようと考えておられる。

これでは、『探虎口者(虎の口に手を入れる馬鹿者の意)』ですぞ。

私が思うに、陳留は天下の要衝で四通八達(交通の要衝の意)の地です。

その上、私の持っている情報では大量の穀物が貯蔵されているとのこと。

ここを奪うほかありませんぞ。

私は陳留の長官と仲が良いので、行って彼を説き伏せることが出来るでしょう。

もし失敗しても陳留には私の弟や知人が大勢おり、

外から沛公が攻めれば、内で私が事を起こせましょう。」


ちょうど劉邦軍は兵糧不足に悩まされていたところだったので、劉邦はこれを聞いて大いに喜び、

早速れき食其を陳留に派遣した。


結局、れき食其の陳留長官説得は失敗した。

しかし劉邦はれき食其が出発した後、密かに進軍を開始していた為、

れき老人の説得が失敗したと聞くやいなや、陳留を包囲した。

れき食其も陳留で弟や旧知を集め、内乱を起した。

陳留は陥落し、貯蔵してあった穀物はすべて劉邦軍のものとなり、兵卒は飢えから解放された。

劉邦はれき食其に感謝し、「広野君」の称号を贈った。



れき食其は、「腹が減っては戦は出来ぬ」ということをよく知っていた。

「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」という格言のように

古えの道の実践は混乱が治まって民が肥えてからだと知っていたのだ・・・・・



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