第一話:頭の狂った先生


漢代では陳留郡の人口は150万人を超えており、秦代でも活気ある都会であったに違いない。

この街に一人の変わった男がいた。

彼の名は食其(れき・いき)。陳留郡圉県高陽郷の人である。

彼は町の出入門の門番をしており、家が貧しく没落していたことを物語っていた。

彼は若い頃から書物を読み漁り、人物批評をしたり混世を救う方策を誰に言うでもなく呟いていた。

県に住む人々はみな彼のことを「狂生」、要は「いかれた先生」と呼んでいた。

陳留の顔役たちも、敢えて彼を労役に使おうとはしなかった。

その変人が今回取り上げる食其である。


陳勝呉広が秦に対して反乱を起してから、高陽を通過する反乱軍首領は何十人といた。

食其は、今こそ自分の才能を役立てるときだと思い、首領を訪ねて語り合った。

しかし彼はどの首領にも失望した。

なぜなら、どいつもこいつも度量が狭く礼儀体面ばかりをやかましく言い、

自分勝手で人の意見を聞けないと思ったからである。

結局、食其はまたひっそりと目立たぬよう、門番として過ごした。

高陽の人々は、やはり彼はイカレていると思った。


ある時、食其は沛公という反乱軍首領が高陽を通過すると聞いた。

沛公は進軍中常に、「この土地にはどんな賢者豪傑がいるのかな?」と言って歩いていたので、

彼の評判は高陽でも広まっていた。

食其は、「こいつなら、ワシの意見を用いることができるだろう。」と判断し、

沛公に従軍していた高陽出身の若者に会った。


れき食其 「わしが聞いておるところでは、沛公という人は酷く傲慢で人を馬鹿にするそうだ。

ところが、心には色々と大きな計画を隠しているというではないか。

このお方こそ、わしが仕えるべき人なのだが、

沛公にわしを紹介してくれる人がいないのじゃ。

君が沛公さまに面会したときに、

『私の郷里に先生という六十を超えた身長八尺(約184cm)

気狂い先生と呼ばれている人がおります。

先生は自分では頭は正常だと言っています。』

と、沛公のお耳に入れてくれぬかの?」


若者 先生、それは無理です。

沛公さまは儒者が大嫌いなのです。

儒冠を被った人がいると、沛公さまはいつもその冠をむしり取って、

その中へ小便を注ぎ込みます。

人と話すときは、いつも大声で儒者の悪口を言います。

先生は儒者ということだけでけなされ、献策などとても出来ないでしょう。」


れき食其 「いやいや。お話ができるだけでよいのじゃ。」


こうして若者は渋々沛公に食其を紹介することとなったのだが・・・・・・


第二話へ行く

HOME