第七話:王氏の功績


王翦が楚を滅ぼした年(秦王政二十五年)、王翦の息子・王賁は李信らと兵を率い

遼東に逃げ込んだ燕王喜を攻め、これを捕虜とした。

引き返して同盟関係にあった代(趙滅亡後王族が逃げ込んで独立した)を討ち、代王嘉を捕虜とした。

王賁軍はそのまま燕に戻り、兵を休めた。

秦王政は五国を滅ぼしたのを祝して、各地で大いに酒宴を開かせた。


秦と友好的であった斉が最後まで残ったが、秦王政は容赦しなかった。

秦王政二十六年、斉王建と宰相の后勝が勝手に国交を断ち国境を閉ざしたとし、

燕に留まっていた王賁に命令して斉に騙し討ちを仕掛けさせた。

南下して斉を急襲した王賁は、無人の野を行くが如く進撃し、あっという間に斉都臨しを包囲した。

斉の民は誰一人として抵抗する者はなく、斉王建は降服した。

秦王政は天下を統一し、皇帝を名乗った。


六国を滅ぼした王氏の功績は大きく、名声は後世までひきつがれた。

始皇帝は王賁を通武侯に封じ、王賁の息子・王離を武城侯に封じた。(王翦については不明)

後、王賁・離父子は始皇帝の天下巡遊に従い、石碑に名を刻んでいる。

この時王翦は同行していないようだが、既に亡くなっていたのか郷里で隠棲していたのか

定かではない。

「二世胡亥が即位したときには王翦・王賁は死去したあとだった」と記録されているだけである。


秦の他国討伐リスト
韓 ― (内史)騰
趙 ― 王翦・羌かい
魏 ― 王賁
楚 ― 王翦・蒙武
越 ― 王翦・蒙武
燕 ― 王翦・王賁・辛勝(燕都陥落)、王賁・李信(遼東で燕王捕捉)
代 ― 王賁・李信
斉 ― 王賁・李信


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