第八話:王離


武城侯であった王離(王翦の孫)は二世胡亥に仕えた。

秦では名将であると評判が高かった。


二世元年の七月、陳渉呉広が反乱をおこすと、あっというまに火の手が広がり、

項梁や劉邦らも立ち上がった。

二世二年の冬、ついに周文率いる陳渉軍が函谷関を破って都に迫ってきた。

胡亥はどうしていいかわからず群臣に相談したところ、少府の章邯が自ら名乗りでた。

二世は天下に大赦を行い、章邯を将軍とし、王離と渉間が副将となった。

章邯らはすぐさま出発し、周文軍を撃破し周文は自殺した。

休まず陳にいた陳渉を攻めこれを殺した。続いて定陶で楚軍を攻め項梁を殺し、

さらに臨済で魏軍を攻め魏咎を殺し、黄河を渡って北上。

趙王趙歇と宰相張耳が籠もる鉅鹿を包囲した。

章邯は王離・渉間に包囲軍を任せ、自身はその南に陣を置き、

甬道を作って兵糧を包囲軍に送った。


陳余や他国の軍が救援に駆けつけたが、完全に包囲された鉅鹿を見て

誰も一戦を交えようとはしなかった。

しかし、項梁の跡を継いだ項羽だけは違った。

まず黥布に二万の兵を与え、王離らに突撃させた。

続いて項羽自身が突撃し、王離軍を包囲し九度戦闘を交え、蘇角を殺し王離を捕虜とした。

渉間は降らず、焼身自殺した。


その後、王離がどうなったか、史記は沈黙している。

殺されたのか、後に降った章邯と共に項羽に仕えたのか、今となってはわからない。


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