第四話:秦軍惨敗


秦王政二十二年、王翦の息子王賁は兵を率いて都・大梁に立て籠もる魏を攻撃した。

魏は大梁城を堅守し、陥落しそうもない。

そこで王賁は水攻めを考案した。

水攻めは失敗すれば味方の陣を水没させる。

地勢を熟知していないとできない芸当であろう。

王賁はこれを成功させた。

済水から掘割(河溝という名らしい)を通し、

大梁城に注いだ。

城壁は徐々に浸食され、魏軍は成す術無く、三ヶ月目で城壁は崩壊した。

水が引くと秦兵による一方的な殺戮が始まるのは目に見えている。

魏王假は降伏を願い出、捕虜となり魏は滅亡した。

この時の戦で大梁は廃墟となった。

司馬遷が訪れた頃には別に街が形成されていて、魏時代の大梁は「墟」のままであったという。


残る大国は斉と楚だけとなった。斉は首脳部が買収されて秦の言いなりとなっていた為、

秦は楚の孤立を狙い魏を滅ぼしたのだった。

秦王政は「二十万の兵で充分」と言った李信に蒙恬をつけて楚討伐に行かせた。

二人とも有能な若手将軍である。

李信と蒙恬は別行動で楚を攻めた。

李信は平與を、蒙恬は寝を攻撃し

楚軍に大打撃を与えた。(何れも汝南付近)

さらに李信は一軍を率いて転戦し、

えん・郢を攻め落した。

後憂を断った李信は、蒙恬と合流する為に父城(汝南付近)に向ったが、

楚将項燕(項羽の祖父)が密かにあとをつけていることに気が付かなかった。

項燕は三日三晩宿営せずにあとをつけ、李信軍を背後から急襲した。

李信軍は恐慌状態に陥り、土城を二つ奪われ部隊長を七人失った。

項燕は大戦果をあげ、李信は惨敗した。


この報を聞いた秦王政は危機を感じた。

この惨敗で秦による天下統一が失敗するかもしれない、と。

秦王政十二年旱魃、十五年地震、十七年飢饉、十九年飢饉、二十一年雪害、

連年自然災害に襲われ人心も定まらぬ中での出兵である。

しかも楚軍は次々と失地を回復しているという。

趙・燕・魏を次々と滅ぼし、南方の雄・楚を甘く見ていた。二十万では無理だったのだ。

そして趙・燕を滅ぼしたのは、李信でも蒙恬でもなく老王翦であった。


政の頭の中に郷里に隠棲した王翦の言葉が蘇った。

王翦 「六十万でなくては無理でしょう。」

秦王政 「ははは、王将軍も年をとられたな。それほど楚が恐ろしいか。」

政は居ても立ってもいられず、頻陽で隠居生活を送っていた王翦を訪ねた。



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