第三話:後事を託される



王陵は母の死より劉邦につき従って天下を平定した。


天下は定まり、劉邦は群臣と共に洛陽で宴会を開き、その席上で言った。

劉邦 「列侯諸将よ。隠し立てせずに、ありのまま言ってもらいたい。

何故ワシに天下が取れたのか、そして項羽が天下を失った理由は何か。」

王陵 「謹んで申し上げます。

陛下は傲慢で人を侮ります。しかし項羽は情深くて、人を愛しました。

しかし陛下は城を落とし地を平定した者には、地を与え、

天下の人々と利を同じくなされました。

一方、項羽は賢者や能力のある者を警戒・嫉妬しました。

戦い勝ってもその功を独り占めし、他人に分け与えず、

地を得てもその利を人に与えませんでした。

これが項羽が天下を失い、陛下が天下を取った理由であります。」

劉邦 「ははは。まあ、そんなところだろう。

だが、公はその一を知って、まだその二を知らないぞ。

そもそも策謀を本陣の帷幄の中で巡らせて、その結果勝利を千里の外で決する点では、

ワシは子房(張良)に及ばないのだ。

国家を鎮め、人民を懐け、食糧を供給して糧道を絶たず軍を飢えさせないという点では、

ワシは蕭何には及ばないのだ。

百万の兵を率いて、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取るといった点では、

ワシは韓信には及ばない。

この三人は、みな人傑である。

わしはこの三人をよく用いることができたのだ。これがワシが天下を取った理由だ。

項羽には唯一人范増があったが、これを十分に用いることができなかった。

だから項羽は天下を失ったのだ。」


その後、皇帝劉邦は功臣の封爵に取りかかった。しかし、封爵の段階になって劉邦の執念深さが出た。

王陵は、以前劉邦が沛公と呼ばれていた頃に、雍歯と通じて劉邦の故郷豊を占領したことがあった。

劉邦は故郷を奪われた怨みを忘れておらず、雍歯には最初に侯に封じることによって仕返しとし、

王陵には人より遅れて侯に封じることによって仕返しとした。

(ちなみに雍歯の封じられた場所は益州広漢郡什方であり、異民族てい・羌の居住地区と隣接していた。
現在では什ほうといい、俗称雍歯城というそうである。)



王陵は冀州中山郡安国県の五千戸を与えられ安国侯となり、

侯の中では十二番目という高位となった。

これは、劉邦個人としては王陵に旧怨があるものの、母を失ってまで自分に尽くしてくれた

兄貴分に報いる気持ちと、硬骨漢王陵に死後を託す気持ちの現れであった。



紀元前195年、劉邦は死んだ。

呂后が遺言を聞いた。


呂后 「陛下がお隠れあそばせた後、蕭相国(蕭何)がもし死にましたら、

その後は誰に国を任せればよろしいでしょうか。」

劉邦 「曹参がよい。」

呂后 「曹参も若くありません。もし曹参が死んだら、その後は誰にすればよいのです。」

劉邦 王陵だ。彼は愚直だが、陳平に補佐させれば万全だろう。

陳平の智は国を任せるに充分だが、独りでは無理であろう。

周勃の人柄は重厚であり朴訥だ。しかし文に欠ける。

だが、結局劉氏の天下を安定させるのは周勃に違いない。彼を太尉にせよ。」

呂后 「では、その後は?」

劉邦 「・・・・・・。

それから後のことは、お前の知るところではない。」


こうして劉邦は王陵らに後事を託して逝った。

王陵はこの遺言に感激した。

王陵は、劉邦・諸侯とともに白馬の血をすすって『劉氏以外の者が王となったら、これを撃て』

と誓った約束を愚直なまでに守ろうとした。

劉邦が死ぬと呂后が天下の権を握ったが、彼はこれに対し終始妥協しない姿勢を保った。


しかし、その姿勢はいずれ呂后と衝突せざるをえない運命にあった・・・


第四話へ

HOME