王陵という人は沛の人で、沛ではおおいに威勢をふるった任侠の人である。 学はあまり無かったが、気力を尊び率直にものを言う人であり、大いに声望があった。 劉邦は、信陵君や張耳などの大侠を慕い、張耳の下へ弟子入りするほどであったため、 当然、故郷の大侠王陵の下にも弟子入りし、王陵を兄貴に立てた。 しかし王陵は劉邦をかなり軽視していたようで、劉邦が挙兵するとこれを小馬鹿にし、 任侠仲間の雍歯が劉邦を裏切って豊に立て篭もったときに、これを援助した。 劉邦は、雍歯が裏切ったと聞くとこれを攻めたが、まったく歯がたたなかった。 このことから、劉邦は王陵と雍歯を深く怨んだ。この恨みは天下が平定されても消えることなく、 王陵は功績が大きかったのにもかかわらず、なかなか封地をもらえなかった。 その後、王陵は兵数千を率いて独自に軍事行動を起した。 王陵は宛付近を攻略し、そこを本拠地とし腰を落ち着けた。 劉邦はこのうるさい先輩・王陵を敢えて配下にしようとはせず、客として対等に遇し、 友軍という姿勢を貫いた。 項羽も王陵の人柄を知っており、彼を配下に迎えようと考えていた。 このように王陵は項羽・劉邦両人から特別視される一風変わった存在であった。 彼は、項羽が覇王となり、劉邦が漢王となるまでどこにも属さなかった。 しかし、彼は漢中から出撃して三秦(関中)を奪った劉邦から ある依頼を受けるところから運命が一変するのである・・・ |