大宮鉱山跡 2005.6.18


私の住むT市から程近い所にある大宮鉱山跡。
ネット上の情報も極端に少なく、日高市の高麗神社裏の谷に存在し、マンガンを産出したとしか判らなかった。
いつまで操業していたかも不明であった。
事前情報がほとんどないまま、まるだし氏と私は日高へ向かった。

高麗神社へ到着し、方々を物色するもそれらしき道はない。
事前情報無しはやはりキツイ。

近隣で聞き込みを開始し、オートショップのおっちゃんから「多分あそこだろう。」という情報をいただいた。
向かった先で我々が見たのは・・・・


おいおい・・・・・普通の家じゃないか!!
教えていただいた道を歩いていたら、いきなり私有地の様なところへ迷い込んだ。
でも、この道の広さ、なんか怪しいなぁ。



道はとある家の駐車場に繋がっており、さらにその脇のビニールハウスの脇から藪道が続いていた。
藪に突入してすぐ現れる池。
「この池で遊ばないでください」という古びた看板があった。




でかい蜘蛛の巣を払いつつ藪漕ぎをしながら左右を見ると、井戸のようなものが点在している。
鉱山関連のものだろうか?



5分くらい歩くとマンガンのズリが現れる。
地面に撒かれたようだ。なぜ山になっていないのか不思議に思った。

我々はこれを見て、「結構近くに旧坑があるのでは。」と思ってしまった。
つらい藪漕ぎは、ありもしない妄想をさせるものだ。



歩けども歩けども旧坑は無い。谷はどんどん狭くなる。
藪は益々酷くなるが、かといって歩けない程密度が濃いわけではない。
奥へ奥へと誘われる典型的な廃道。
精神的にやられてくる。

と、突然藪道が二股に分かれた。
どっちだ・・・・・・・?
左には電信柱の成れの果て(上の写真)と思われるものがある。右は再び藪道が続く。
左はすぐに激藪となり前進不能となった。
我々は右へ進路をとった。
これは正解であった。

左の広場には、鉱山事務所があったそうだ。
この道の入り口にあった家の御主人が大宮鉱山の現役時代をご存知であった。
我々が目指している旧坑は明治か大正時代のものであり、昭和に入るとこの近辺で階段状に露天掘をしていたそうである。
露天掘の跡は埋め戻されたとのことであった。



しばらく藪を漕ぐと再び広場が現れた。
ここが露天掘りの跡地か?

とにかく、蚊と蜘蛛の巣がうざい。蜘蛛でかすぎ。
二人とも精神的に参ってきた。
まだなのか、旧坑はまだなのか・・・。
そういえば、マムシ注意の看板があったな・・・・・



やけくそで歩いていると、沢の中に台車と思われる残骸を発見。
まさか手動で鉱物を運んでいたのか・・・



ふぅ。
行けども行けども逝けども藪。
好き好んで歩いてる我々はただの変態である。



谷が狭まり、気がつくと沢が無くなっていた。
杉が生えてはいるが、不自然な平地であることに気づく。
怪しい・・・。



まるだし氏が古いビール缶を発見。
こんなビール見たことない。



ビール缶が他にもないか下をみていたら、この地表はみなマンガンのズリであることに気づいた。
これは、旧坑が近いに違いない!!



なんとなく、この先が怪しいと思った。



藪を掻き分けてみると、当たりであった。
これが明治大正期の坑口であろう。
殆ど埋まっている。



振り返ると、ただの森。
その先に見えている藪も酷い。
こんな場所を好き好んで歩く我々は変(略・・・・




坑口へ接近し写真を撮っていると、岩盤の表面でなにかが大量に蠢いている。
うげぇーーーーーーーーーーーー
べ、べ便所コオロギだ!!!
うげぇ・・・・・・
私、便所コオロギ駄目なんです。ゴキブリは大丈夫なのに・・・



結局、内部へ下りることなく撤収。

帰宅して気づいたのだが、このサイトの写真が唯一ネット上にあった写真だが我々が見たものとは違う。
まだ違う坑口があるというのか!

藪の無くなった頃、再調査に行きます・・・・



大宮鉱山跡に通じる藪道入り口に住むご老人は、大宮鉱山が現役の頃をご存知で我々に色々な知識をもたらしてくれた。
・大宮鉱山に自宅前の土地を貸し、道として使わせていたこと。(一枚目の写真の砂利道のこと)
・明治か大正か忘れたが、かなり昔から鉱山として稼動していたこと。
・鉱山事務所があったこと。
・戦争から帰ってくると、奥の坑道は廃止され、鉱山事務所付近で階段状に露天掘を進めたこと。
・階段が深くなるにつれて湧水がはげしく、汲み出しが間に合わなかったこと。
・鉱山が廃止になると、飛行機製造会社がやってきて不法投棄?をして露天掘の穴を埋め戻して
 しまったこと。(会社名は伏せます)
・未だに愛好家の知人が来て自宅敷地内の石を割ったり持って帰ったりすること。(笑いながら、止
 めてほしいと仰っていました)
やはり、古老の知識は的確である。


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