木友実栗屋炭鉱跡 2006.6.12


 2006年5月、ゴールデンウイークで渋滞する国道13号を回避しようとして偶然発見した遺構。【場所】
web上にも記載がなく長らく謎のままであった遺構だが、本名荒井様のご尽力により謎が解明された。
この場を借りて御礼申し上げます。


私は中学生の頃よく新庄へ一人旅した。まだ新幹線が来ていない頃だったと記憶している。
厳冬の季節、陸羽東線の最終列車をホーム待合室で待っていたら地元の方と親しくなった。
子供が客車好きでしょっちゅう見に来ているとのことだった。
新庄も工場が閉鎖になったり、炭坑が閉鎖されたりと良い知らせが無い。
人口も減る一方だし新幹線延長はどうなることやら、と嘆いておられた。
その後、新庄にも新幹線が延長され、時代の波とともに奥羽本線からも客車が消えた・・・


その後の調査の結果、地元の方が嘆いておられた炭坑はどうやら郡一炭鉱といい
亜炭(lignite。石炭化度が低く水分・酸素が多く、低品位炭に位置づけされる)を採掘していた鉱山のようだ。

さらに本名荒井様の調査により詳細が判明。(山形県鉱山誌、舟形町郷土資料館で調べてくださり判明。)
舟形町地下一帯には現在でも大量の亜炭があり、かつて大々的に採掘されていた時期があったとのこと。
日本三大亜炭田の一つに数えられたこともあるようだ。
R13舟形トンネル着工時、亜炭層の調査および廃坑の空洞対策を行ったようである。
この木友実栗屋炭鉱跡も数多くあった炭鉱の一つと判明した。


(以下の記事内容は全て本名荒井様の調査結果である。)


実栗屋炭鉱は昭和20年代後半に本坑が廃止され産出量を補う為に開削された。
昭和30年代には月2000tの亜炭産出があり有望な炭坑であったようだ。



しかし採掘権を持っていた東北鉱業の経営が悪化し、煽りを食って実栗屋炭鉱は閉山。
その後、鉱業権を取得した会社も経営が悪化し、昭和46年10月に全山閉山を迎えた。


現在では春先になると食用の山菜が自生し、地元の方々の採取の場所となっているようだ。
私が訪れた時も数台の車が停まっており、山菜採りの方々が散見された。
多くの方は、ここが炭鉱であったことを知らないのではないだろうか・・・。


戻る