秩父鉱山 2007.10.20

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秩父鉱山は現在も稼動中であり、株式会社ニッチツが石灰を掘っている。
ダンプもひっきりなしに通る為、業務の邪魔にならぬように注意する必要がある。
こちらの方は秩父鉱山の小倉沢中学校出身の方で、今もその伝統・歴史を伝えようとされている方である。
心より敬意を表したい。
今回は稼動中の鉱山ということもあり、施設へ近づいて撮影はしていない。鉱山街の廃墟写真が中心となっている。

秩父鉱山は戦国時代、甲斐武田氏が採掘したのが始まりと伝えられている。
江戸期には平賀源内も金を求めて入山した。
1937年よりニッチツが柳瀬鉱業所より鉱山を買収し大規模に採掘を始めた。
金・銀・銅・鉛・亜鉛・鉄が採掘されたようだ。
1978年に採算が合わずに金属採掘を止め、以降大幅に規模を縮小し現在も石灰・珪砂のみを採掘している。
これにより埼玉県の金属鉱山は消滅した。

最盛期には標高860mの山中であるのにも関わらず2000人を越える人口を誇り、
ニッチツの用意した共同浴場・社宅・病院・学校・商店も完備、郵便局も存在した。
尚、郵便局は関東で最も到達困難な場所にある郵便局であり、郵政民営化の際にも廃局にならずに存続が決まった。

2006年9月には鉱山街から人が去り、遂に無住の地となった。
現在ではニッチツ事務所の裏にOBの方が犬と独り住んでいるだけであり、小倉沢は人口一人となった。
鉱山街はすでに自然に帰りつつある。
栄華を誇った秩父鉱山の今の姿をお伝えしたい。



WEB上ではニッチツ鉱山・日窒鉱山等と呼ばれている秩父鉱山へはこのような険路を進んでいく。
すれ違うのは石灰を満載した大型ダンプのみ。カーブでは常に緊張を強いられる。



鉱山入口。
見えない張り詰めた空気を感じた。



恐らく旧坑への鉱山道路。
進入禁止。入りません。



さて先へいこう。



これは!
インパクトのある郵便局。
土曜に行ったので閉まっていた。



郵政民営化の波にも飲まれず、簡易郵便局として人口一名の小倉沢集落(と呼べるのか)に存在し続けることが奇跡に思えた。
感激しきり。



右奥が現在も稼動中の鉱山。
郵便局横はニッチツの事務所となっており、その裏にOBの方が犬と一緒に独り住んでいるようだ。



稼動中の秩父鉱山。石灰石と珪砂を産出している。
「今日もゼロ災 言い訳なし」
緊張した空気を感じたのはまだ生きている鉱山だったからか・・・



進むとすぐに廃屋が現れる。
これは共同浴場だ。



街灯が物悲しい。



無住の地になる前はこの板は無かったようだ。



新しめの社宅群。
しかし、奥には・・・




歪みながらも何とか体勢を保っている旧社宅。
味がありすぎ。




カーテンを残したまま去った人もいる。



プロパンガス用マイコン2ガスメーター。恐らく1988年6月製造。
現在はマイコンSが主流でありマイコン2は滅多にお目にかかれない。
この部屋は平成に入っても人が住んでいたのだろう。



売店。
スズメバチが電話保安器の周りをうろうろしていた。
WEB上での情報によると稼動中の自動販売機があったようだが、無住の地となり撤去されたようだ。



さらに上部には社宅や小中学校、保育園がある。
谷の窮まる処まで鉱山街は広がる。



おそらく文化会館跡。



建てる場所が無くて河原に作ったのか・・・
すでに基礎が沢に洗われて無くなっていた。



金山志賀坂林道を少し登って撮影。
この時は夏の台風で土砂災害があり群馬県側へは抜けられなかった。
ライダーが数名来たので二輪なら通れるのだろう。
本当に谷の窮まる処まで家がある。



鉱山街最上部で最も目立つ遺構、丹岫寮。(タンシュウと読むか)
丹は古来より赤色を意味し、岫は山の頂を意味することから、恐らく赤岩峠を臨む場所にある建物の意と思われる。



あるきタバコは
やめましょう



寅さんが出てきそうだ。



あの頂は1532m峰であろうか。
空が美しい。



奥に見えているのが大滝村立鉱山保育園跡。
スズメバチがいたので立ち入らず。



またまた・・・
あるきタバコはやめましょう



つい最近まで使っていたと思われる自転車が放置されていた。
新聞受けには新しいテプラが貼ってあった。
本当に去年まで人がいたんだ・・・



庭の草木は手入れする人もなく伸び放題。



主の居ない家に入る気はしない。
いつまで積雪に耐えられるのだろう。



大滝村消防団第十分団
第一消防機具置場



雄雄しい赤岩峠。
いつか登ってみたい。→いってきました!


さらば秩父鉱山街、また会おう。




帰りに気付いたのだが、道が大きく陥没していた。
おそろしや・・・

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