国道121号旧道 大峠 その1 2003.11


国道121号旧道は山形県米沢市と福島県喜多方市を結ぶ街道である。古くは米沢街道と呼ばれた。

明治15年福島県令三島通庸が住民を使って山道を拡張開削させた。(この住民酷使で喜多方・福島事件が起きる。)

三島という人は、大峠といい栗子隧道といい物凄い所に道を拓かせる。やり方に問題はあったが、道を拓けば県が発展するという理念は正しかった。

昭和9年には大改修され、自動車も通れる道に生まれ変わった。この時に大峠隧道も改修され、拡張された。 旧道が現役だった1990年の貴重な写真が残っている。

しかし大峠越えは難所であり酷い九十九折と道の狭さもあり、新道大峠道路にとって変わられ歴史ある大峠隧道を含む米沢街道は旧道に転落した。

新道は旧道とは全く違うルートを取り、福島県内で最長の大峠トンネル3940Kmを含む多くのトンネルを開削し短絡化を図り、殆どの区間が供用中である。

近年旧道山形県側が通行止めになり、WEB上のレポを見ると落石よけが完全に崩落していたりと廃道化の一途を辿っている。

しかし、万世大路と違って舗装区間が長いので自転車などの二輪ならば通過できるようである。現に轍があった。(2003.11時点)

(ちなみに旧道はまだ国道指定を受けているらしい。新道が全線開通していないからである。)

私はそんな大峠に惹かれ、四輪通行可能な福島側に挑んだ。

付近の地図mapion
早朝、朝霧を切って進む。

R13新庄付近。

二時間後、国道121号旧道福島側に到着。

旧道に入ってからすぐに古びた道路情報案内と巨大な通行止マーク。

どちらも色褪せ通行止めの字が消えかかっている。

しばらくは集落と集落とを結ぶ生活道路である。

有名な農業兼業経営赤れんが食堂もある。

帰りに食べた肉ラーメンの味は忘れ難い。旨い。






山形97Km、米沢48Km。国道標識も残る。

もう山の向こうへは通じていない道。



くどい程の通行止標識。

ここから急に道が狭くなる。



ぼろぼろの「警笛鳴らせ」



九十九折が始まる。



随分登ってきた。まるで山岳道路だ。



意味の無くなったガードロープ。「警笛鳴らせ」も悲しげだ。



植物で車体を擦る。気にしていたら運転できない。



九十九折集合体。車酔いする人は地獄を見る。



写真では伝わりにくいが、もの凄い高度差。

稜線を巻き、谷を避け、等高線に逆らわない道だ。



すれ違った車無し。

標高を上げると枯れ木の世界となる。




圧巻。

上の写真の所まで登ってきた。

限られた場所で一気に標高を稼いでいるのが解る。


戻る その2へ