明神峠 2007.5.12



■注意■
明神峠越えに登山道はありません。常に遭難・滑落等の危険が付きまといます。
入山には十分注意してください。滑落すれば死は免れられません。
怪我をしたり獣に襲われても誰も助けに来ません。

万世大路が開削される以前より、上杉米沢藩の秘線として「中野〜二ツ小屋〜明神峠〜赤浜」のルートがあったという。
しかし一般に知られたのは板谷峠越えの米沢街道だけであり、その不便さは想像を絶するものであったらしい。

明治に入り、この不便さを解消すべくこのルートに光を当てた人物がいた。
飯坂村(現福島市飯坂町)第三区長立岩一郎氏である。
彼は明治七年七月調査員数名と共に飯坂から明神峠を越え赤浜まで到達し、翌八年福島県庁へ新道開削の路線案を提出した。

彼らと同時にこの路線に注目する人物がいた。東京にいた工務卿伊藤博文である。
彼は福島・米沢間に電信線を引く為に、この道に注目していたようだ。
(尚、現在もNTTの電信線はトンネル内ではなく明神峠を越えており、伊藤博文の先見の明には驚嘆させられる。)

これらのことが三島通庸の万世大路開削の発端となった。

峠には航空写真の通り通信線が通っていた。
去年に無念の撤退をした地を見下ろすが、藪が酷くて何も見えず。
これでは山形側から来るのは至難の業だ。



福島側を見る。
後にこの通信線の下を歩くこととなる。
灌木ばかり生えている。





明神峠全景。
だだっ広い。
ここを米沢藩士や立岩一郎一行が通ったと思うと感慨深い。
当時は決死の覚悟で越えたものと思われる。

峠にはなぜか背の高い笹ばかり生えている。
しかもみな枯れかかっている。
謎だ。



今来た道を振り返る。
雲が近い。
素晴らしい景色だ。



山形側に雲がかかってきた。
風が激しく、笹の擦れる音だけが支配する峠。
古来より変わっていないはずだ。



dark-RX in 明神峠

稜線歩きが意外と楽で拍子抜けしたが、峠は昭和より変わらぬ姿を保っているようで感動した。
歴史のある峠は好きだ。

また、ごく稀に人が立ち入るようで、山菜が採られた跡があった。
こんなところまでご苦労様です。(自分達も^-^;;)

あまりにも寒いのでしばらく立岩氏一行に思いをはせたところで、先ほどの通信線の下をくだっていくことに。
無事に鎌沢まで出られるのだろうか・・・



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