二ツ小屋隧道上稜線 2007.5.12



■注意■
二ツ小屋隧道上稜線に登山道はありません。常に遭難・滑落等の危険が付きまといます。
入山には十分注意してください。滑落すれば死は免れられません。
怪我をしたり獣に襲われても誰も助けに来ません。


明神峠を踏破した我々は、二ツ小屋隧道の稜線上にある四等三角点を目指して万世大路福島側へ向かった。
国土地理院の基準点成果等閲覧サービスを見る限りでは、2003年10月に三角点の存在を確認しているようだ。
我々も行けそうではないかとdark-RX氏と相談し、まずは二ツ小屋隧道福島側の脇から登ることに。



東栗子トンネル脇。相変わらず取り付き口は道が荒れている。



マムシ草を眺めたり山菜を探しながら歩いていたら、熊避け鈴をたくさん付けた青年に抜かれた。
若い衆は動きがええの〜、と思っていたらなんとたつきさんだった。
なんという偶然。隧道上で挨拶をかわすなんてなんてありえん・・・
我々は隧道に入らず、写真左手前へ。



行く先の様子が怪しい。
激藪だ。
ナタを準備するdark-RX氏。



道のような、道でないような・・・
この後、とんでもない密林地帯に入り遭難の危険を感じたのでそそくさと撤退。
すでに点の記にある小径は消え去っていた。
こうなったら二ツ小屋隧道の反対側から元作業道を歩いて稜線に向かい、稜線上を歩いた方が良さそうだ。





二ツ小屋隧道の穴はさらに広がっていた。
こりゃぁ長くはないな・・・と毎年言っているような気がする。



隧道脇から元作業道へ向かう。
この作業道では昭和9年に死者がでている。
鉄管を担いでこの作業道を通ろうとした者が高圧電線に触れ感電して亡くなっている。
この時期の高圧電線はまだ3300Vだったが、今のものは6600Vである。
また現在ではポリエチレン被覆線を使っているが、この時代は裸線であったのだろうか。
いずれにせよ作業員の安全が第一でない時代だったようだ。



隧道の大穴を上から見る。
体重の軽い者でも踏み抜きかねない。落ちたら骨折するだろう。



坑口を裏から撮影。
何度見ても巨大で息を飲む。



作業道は隧道内に流れ込む沢に沿って比較的明瞭に残っている。



新緑の美しさに言葉も出ない。



登ってきた米沢側坑口方面を望む。



何度か九十九折があり稜線に到達。
福島側の視界は開けない。
二ツ小屋峠とでも呼ぶか?



一休みしてから四等三角点に向かって藪を登り始める。
先ほどの明神峠の疲れがではじめる。
二人とも汗だく無言。
おまけにアブがたかる。
足が言うことを聞かない。



結局、四等三角点は発見できなかったが、それらしき場所にたどり着いた。
ここより高い地点は周囲に無く、おそらく三角点は残雪か落ち葉に埋もれているのだろう。
dark-RX氏は疲労困憊で座り込んだ。
自分もへとへとで、座ろうとして周囲を見回してギョっとした。

 1965年
 6月7日
 S.S

と読める。
1965年というと昭和40年・・・40年以上前だ。これを刻んだ人はまだ存命だろうか。
ちなみに翌昭和41年には東栗子・西栗子両トンネルが開通し、二ツ小屋隧道を含む万世大路は旧道へ転落している。



二ツ小屋峠への帰りも難渋した。
疲れて足が上がらない。
転げるように歩いた。



ようやく峠が見えてきた。



峠から福島側の下りは明瞭ではない。
恐らく福島側からの取り付き口が失われてしまった為だろう。



自然地形とも道跡ともとれる怪しげな道が続く。
道や地形にこだわらず強引に下っていったら万世大路と合流した。
たつきさんはもう山を下っていた。


四等三角点の発見には至らなかったが、新たな出会いもあり充実した探索となった。
歴史に思いを馳せながらdark-RX氏と歩く栗子山中は毎回楽しい。
今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m



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