吹上坂 2004.1
旧吹上隧道の上に古道があり吹上坂があるのは知っていたが、恥ずかしくも由来を詳しく知らなかった。

ところが、「広報おうめ」平成15年6月号の中に興味深い話が出ているのを見つけた。

ページの最後に抜粋があるので是非読んでいただきたい。
はじめから無茶だとわかっていた。

この斜度、荒れっぷり。

しかし吹上峠の歴史をこの目で見たいという欲求に勝てない。

私は隧道横の斜面を直登してしまった。

ちなみに下に見えているのは旧吹上隧道坑門。

ゴム軍手を装備して地面を這うように登る。

地面は砂利のようで脆く、何度も滑り落ちた。

杉の木は枯れているものもあり、掴むと倒れ自分も滑り落ちた。

なかなか登れない。

自分の馬鹿さ加減に笑いが込上げてきた。

・・・・・・。

やっと平坦な場所を見つけた。

それにしてもこの斜度、何なんだよ!

こんな斜度登ってたら、アキレス腱の方が先に逝かれちまうよ。


ちなみに登ってる最中の写真はない。片手で登ってたら間違いなく死。



今登ってきたところを見下ろす。

遠くに見えている横向きの倒木のところから登ってきた。

我ながら危険なことをしたと思う。正月から何やってんだか。

そしてここは旧吹上隧道の真上。

この斜度、崩れ方を見ると、そのうち成木側の坑門は埋まってしまうだろう。


ん??

左右を見ると道に見えなくもない。左は下っていく途中で斜面が崩れ道が消えている??

私の直感は、「ここが古道だ」と教えている。

ただし、私の直感ほどアテにならないものもないが。


息を整え、峠へ向けて踏跡を辿る。


峠へ到着。これが本来の吹上峠か・・・。きれいなV字を描いている。

隧道が貫通する前は、人馬ともに苦労して峠を越えていたことを考えると感慨無量である。


くたびれた禁猟句の赤い看板が唯一の人工物。

吹上坂は静寂に包まれている。


峠は杉が美しい。



峠からは左に右にカーブを繰り返しながら標高を下げていく。

こちら側は林業関係者の往来があるらしく、踏跡がはっきりとしている。

古道の雰囲気がでている。

吹上坂のヘアピンカーブ(^-^;;

再びヘアピンカーブ。

旧吹上隧道の上を越えて、黒沢側に戻ってきた。


古道は、何か優しい感じがした。

いつものように「ありがとう」とお礼をいって吹上峠をあとにした。

何時までも歴史を語り続ける峠であってほしい。


広報おうめ 平成15年6月号

 黒沢2丁目と成木8丁目の間に標高281mの吹上峠があります。

この吹上峠を越えるために、「文政の切通し」「明治のトンネル」「昭和のトンネル」「平成のトンネル」が整備されてきました。

 まず、文政11年(1828年)に、北小曾木村や上成木村から師岡まで、石灰を運搬する牛馬が通行しやすいように、

この峠の頂上部を約9m掘り下げ、切通しとしました。

明治になると人馬の往来も増えたことから、明治37年(1904年)に東京で初めての道路トンネルとなる「明治のトンネル」が開通しました。

延長112m、幅員3.3m、天井の高さ2.8mで、路面は切通しより46.7m低くなりました。

現在は敷地が民地であるトンネル部分を除き、上部の切通し部も含め市道になっています。

トンネルは危険防止のため両側の入り口にネットフェンスを設置し通行止めにしています。

 戦後、昭和のモータリゼーションの進展に伴い、バスやトラックの通行のできる道路が必要となり、

昭和33年に「昭和のトンネル」が開通しました。延長248m、幅員5.5m、天井の高さ4.8m、路面は旧トンネルより約20m低くなりました。

現在は昭和34年に植樹された見事な桜並木のある成木側のトンネルに至るアプローチを含め東京都が管理しており、トンネル内も歩けます。

 現在の「平成のトンネル」は、平成5年に開通し、今年で10年が経過します。

延長604 m、車道幅員7m、歩道幅員1.5m、天井の高さ6.3m、黒沢側坑口から成木側に向け約33m下るため、成木側のアプローチは不要となっています。

 同一個所での四代にわたる「吹上峠みち」は、道の博物館ともいわれております。

青梅の歴史、道路や交通の歴史を知るうえで貴重であり、文化遺産として保護し、活用していきたいと思います。

 青梅市長 竹内俊夫



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