旧吹上隧道 2004.1

旧吹上隧道の竣工は明治三十七年であるという。文献を調べたわけではないから、詳細はわからない。

しかし、この隧道に歴史的価値があることは周知の事実で、是非保存してもらいたいと思っている。

現在では心無い人々によって荒らされており、ゴミや落書きが目につく。

また、旧旧道に沿って民家が点在しており、地域住民には十分な配慮をしていただきたい

今年100歳を迎える美しい煉瓦隧道をいつまでも残していきたいものである。
通行止・・・そんなこと、わかってますよ( ̄ー ̄)

しばらく登ると、四輪進入を妨げるブロックがある。

そして、写真右側は民家である。

夜中、ガヤガヤ話しながら、もしくはぎりぎりまで四輪で突っ込むのは

大きな迷惑となる。

地元の人々にとって、私たちはすでに「厄介者」になっている。

地域住民への配慮を忘れてはならない。これだけは真剣に思った。

もし住民とばったり会ったら、こそこそせず明るく挨拶を交わして欲しい。

眼下に旧道の吹上隧道が見える。

どっしりとした風格がある。

旧旧道は未舗装だったようだ。

旧道を臨む。

しかし、旧旧道の規格は四輪を通すものだったのかどうか・・・。怪しい。

さらに進むと煉瓦積みの旧吹上隧道が現れる。

確かに不気味ではある。

暗いし小さい。

やはり車通れなかったのでは?

隧道の右側は土砂崩れが起きたらしい。

また、フェンスは壊され、立ち入り禁止の看板は焼かれて溶けている。


この隧道の上に、いにしえの吹上坂(吹上峠)がある。

が、この時点で峠への取り付き口を見つけることができなかった。

直登するには急峻である。

前に立つと、短い隧道の中をヒンヤリとした空気が流れてくるのが分かる。

それにしても小さいなぁ。高さは2.5mくらいかな?幅も狭いし。

坑門右側は無残にも崩れ去っている。

崩れた土砂が煉瓦を押し流したのだろう。

よく観察すると、坑門中央にもヒビが入っている。

崩壊したら悲しいな・・・。

それでは、内部へ。

天井だけ補強されている。

ハロゲンライトが天井を照らしているが、やはり低い。

明治の作りだから、馬車基準だったのか?

内部も煉瓦積みである。

ただし石灰分で白化してよくわからない。

電線か通信線を通していたと思われる突起物が残っていた。

先ほどの煉瓦積みはすぐ終わり、な何と素掘りに変身する。

予算なかったのかい!

岩肌を触ってみたが、非常に頑丈そうだ。

何だか洞窟の写真みたいになってきた(笑)


電線か通信線を通していたと思われるモノのUP写真。

岩肌に刺さってるだけ・・・

振り返って撮影。

随分歩いたような気がするが、旧吹上隧道は短い。

入口の水溜り、目が暗さに慣れておらず気づかずにはまってしまった。

再び煉瓦積みへ変身。

飽きさせない初代隧道。

微妙に補修した跡がある。雑とも言う。

いつの補修だろうか。

ここだけ美しい煉瓦の色がそのまま残っている。

本当にここだけしか赤色が残っていない。

一つずつ職人が積んでいったことを考えると、頭の下がる思いだ。

出口付近。コンクリか何かで補強されているが・・・

白化が激しい。やばいくらい白い。

白い廃隧道は地下水に浸食されて崩れる前兆らしいが、

ここも危険なのか・・・

もしそうだったら残念。100歳の隧道なんて滅多にないのに。

坑門と補強部の接続部分。

少し離れているのは気のせいか。

ふー。脱出。

最近の土砂崩れで成木側の坑門煉瓦積みは殆ど消え失せていた。

左側にわずかに残るのみ。

石巻だけ飛び出た形になっている。

数年前の写真だと、まだきれいに残っていたのに・・・

寿命を迎えつつあるのかどうか。

隧道の先はこの有様。

しばらく歩くと旧道と合流。


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