第六話:蒙恬、囚われる三十七年の冬、琅邪へ向う途中始皇帝は病気に罹った。 彼は、蒙毅に咸陽へ帰って病気治癒の祈祷をするようにと命じた。 しかし、まだ蒙毅が帰ってこないうちに始皇帝は沙丘で死んだ。 死は秘密にされた。 趙高と李斯、そして始皇帝の末子胡亥だけが始皇帝の死を知っていた。 始皇帝は蒙恬のもとにいた長子扶蘇を跡継ぎに指名したが、趙高・李斯は胡亥を即位させた。 さらに、彼らは始皇帝の勅命と偽り、蒙恬と扶蘇に死を命じた。 使者が到着し勅命の内容を知ると、扶蘇は涙を流し、奥の部屋に入りいきなり自殺しようとした。 蒙恬は扶蘇をとどめて言った。 「陛下(始皇帝のこと。蒙恬・扶蘇は既に死んでいるとは知らない)は外へお出ましになられ、 まだ跡継ぎを定めていません。 陛下は臣に三十万の兵を預けて辺境守備を命じられ、扶蘇さまはそのお目付け役であります。 これは天下の重任であります。 今、一人の使者が来たからといって、いきなり自殺しようとなさいますが この使者は偽物かもしれません。 今一度、陛下に使者を願い出て、それでも死を命じられるならその時死にましょう。 それからでも決して遅くはありません。」 蒙恬も馬鹿ではなかった。彼はこの突然の命令に、何か変事を嗅ぎとったのである。 しかし、儒学に理解のある扶蘇は言った。 「父上が子に死ねとおおせになるのだ。どうして重ねて使者を願い出ることなどできようか。」 そして、その場で自殺した。 蒙恬はもう一度使者を送って欲しいと言い張ったので、使者は彼を捕え陽周の獄に押し込めた。 対匈奴司令官には李斯の食客が任命された。 使者が胡亥の元へ戻って一部始終を報告すると、胡亥・趙高・李斯は非常に喜んだ。 胡亥は競争相手の兄扶蘇が死んだので、蒙恬を釈放してやろうと思ったが、 趙高がそれをおしとどめた。また、李斯も強力なライバルの消滅を望んでいた。 蒙家滅亡まで、あと僅か・・・ |