第二話:名指揮官


ごうの子・蒙武も、また名指揮官であった。

蒙武は始皇帝二十三年(紀元前224年)名将王翦と共に

秦の天下統一を阻む最大の敵であった楚を攻撃し、淮南以外の楚の地をことごとく奪い取った。

始皇帝(この時点ではまだ秦王政)は喜び、楚の領土だった郢・陳まで視察に出たほどである。

翌二十四年(紀元前223年)、楚の将軍項燕(項羽の祖父)が淮南で楚王を立てたのでこれを攻撃し、

楚軍を大いに破り、楚王を戦死させ項燕を自殺に追い込んだ。

二十五年には楚の領地を完全に奪い、越をも降して会稽郡を設置した。

この時点で天下統一まで、残るは斉のみであった。



蒙武の子であった蒙恬は、若い頃から刑法を学び、裁判文書を処理する職に就いていたが、

始皇帝二十六年(紀元前221年)に代々の忠節を認められて秦の将軍に任じられ、

王賁と共に斉討伐を任された。

王賁と蒙武は斉に大勝し、斉王建を捕虜とし斉を完全に滅ぼした。

この功績により蒙恬は内史(都・咸陽の長官)に任命された。

始皇帝は蒙家の三代にわたる忠節に感服し、蒙一族を非常に信頼し尊重した。



天下統一した後、秦の最大の敵は外にあった。匈奴である。

才能を買われた蒙恬は、この厳しい対匈奴戦線に司令官として送り込まれることになるのだが・・・


HOME 第三話へ