第三話:項梁挙兵
秦の始皇帝が死んだ。紀元前210年7月のことだった。


始皇帝の政治は暴虐な要素が多かった。

しかし、長男の扶蘇(ふそ)は温厚で度々始皇帝を直諌し、

為政者としては申し分ない才能を持っていたので人民は皇帝の代替わりを望んでいた。

しかし丞相の李斯と宦官の趙高が共謀して扶蘇と後見人の蒙恬を殺し、

第18子の胡亥(こがい)を二世皇帝の座においた。


始皇帝が死んだ7月、陳渉という平民が900人で兵をあげた。

この反乱はあっという間に広がり、反乱軍は数十万人に膨れ上がった。

各地の郡守・県令は恐れおののいた。自分達が人民にしてきたことを考えると、生きた気がしなかった。

明日にも反乱軍が自分の首を取りに攻め寄せて来るかも知れないのだ。


会稽郡の守であった殷通(いんとう)もそのひとりであった。

殷通は自立しようとした。秦との関係を断ち、反乱を起こし、あわよくば天下を、と思ったのである。

しかし、殷通は人気が無い。今まで散々人民をこき使ってきたからだ。

仕方が無いので呉で実力を持つ侠客、項梁と桓楚を呼び寄せ将軍に任命しようともくろんだ。

そして殷通は面識のある項梁を役所に呼び出したのだった。


殷通「項梁どの。長江の北は、みな秦に反旗を翻したと聞く。

私には、天が秦を滅ぼそうとしているようにしか思えない。

先手を打てば人を制し、後手にまわれば人に制せられると言う。

だから、ここで私は兵をあげ秦討滅の兵をあげたいと思う。

そこで、あなたと桓楚とで左右の将軍になってもらいたいのだが・・・」

項梁「・・・・・・・・。(先手を打てば人を制す、か・・・。先手を打つのは、俺だ!!)

わかりました。その話、お受けいたしましょう。

今、桓楚どのは逃亡中で居場所がわかりませぬ。

我が甥の項羽だけが彼の居場所を知っています。

項羽をここに呼び、直々に聞いてください。」

殷通「おお。そなたの甥の噂なら聞いている。

鼎を持ち上げるほどの怪力で、素晴らしい才気の持ち主と聞く。

早く呼んでくれ。」

項梁「ははーっ。(うまくいったぞ・・・ふふ)


項梁は一度退席し、外で待っていた項羽に近づき、そっと耳打ちした。

項梁「羽よ。遂に待ちに待った機会が巡ってきたぞ!

俺が目配せしたら、即座に殷通を斬れ!」

項羽「おお!遂にこの時が!やりましたな。」

項梁「しくじりは許されんぞ。」

項羽「分かっていますよ、叔父上!」


項梁は席に戻った。

項梁「どうか甥を召して命令を与え、桓楚を迎えてください。」

殷通「おうおう。項羽とやら、入れ。」

項羽「ははーっ。」


項羽が席に着く前に項梁は目配せをして、「やれ!!」と叫んだ。

項羽は鳳のように空を飛び剣を抜き、殷通の首を斬り落とした。一瞬の出来事だった。

項梁は、殷通が身に佩びていた会稽郡守の印綬を奪い、自ら佩びた。

そして、殷通の血だらけの首を持ち、郡府内の役人達に「郡守は死んだ」と示した。


府内の役人達は大いに驚き騒ぎ、抜刀し項梁に斬りかかる者もいた。

しかし、項羽はそういった者をたった独りで片っ端から斬殺したので数十名が郡府内で死んだ。

そのため、府内の役人達は恐れおののき、敢えて歯向かう者はいなくなった。

こうして、項梁のクーデターは成功した。


項梁は知り合いだった役人達を全員呼び出し、

大事を起こす理由を語り、会稽郡で挙兵することを告げた。

そして人を派遣し近隣諸県を支配下に収め、8000人の精鋭を得た。
(この8000人がこの後もずっと項軍の中核となるのである。)

また、会稽郡にいた豪傑・賢人を部署につけ、軍の体制も整えた。

この時、一人だけ任用されない者がいた。その男は自分から進み出て項梁に文句を言った。

しかし項梁は、「あなたは以前、私が任せた葬式をうまく取り仕切ることが出来なかった。

葬式の取り仕切りも出来ない人が、軍隊で人を指図することは出来ないと思う。

だから今回はあなたを外したのだ。」と答えた。

この話を聞き、人々はみな項梁に心服した。


このようにして項梁は会稽郡守となり、近隣諸県を従えていったのだった・・・・・・

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