第四話:項梁西進
項梁は江東の地をほぼ平定した。

彼は、陳勝と連合して秦を滅ぼそうと考えていた。(この時、陳渉は既に王位についている)

しかし、秦の正規軍が陳渉軍を叩き潰し、陳勝は配下の者に殺されてしまった。

しかし項梁のいる呉中は陳勝勢力からは遠く離れていたため、この情報はまだ入ってきていなかった。


しかし、長江の対岸の広陵(こうりょう:南京から約80q東)で陳渉に呼応して挙兵していた召平(しょうへい)という者は

陳渉敗死の情報をいち早くキャッチしていた。

そして、すぐ近くまで秦正規軍が迫っていることも知っていた。

秦討滅の灯を消してはならぬ!!と燃えていた召平は悩んだ。


「・・・。このままでは反乱は失敗に終わり、秦の天下は安泰になってしまう。

どうすればいいんだ・・・・。

・・・・・・・そうか!!

今、秦の動乱に巻き込まれていない勢力を新たに動乱の渦に叩き込めばいいんだ!!

どの勢力が、秦を滅ぼす中核になるだろうか・・・・・。

六に勢力を持つ黥布か?・・・いや、彼は残忍すぎて兵があまり集まらないだろう。じゃあ誰だ・・・・・?

・・・・!!呉中に項梁がいたな。彼の支配地では善政が行われ、人民は安楽に暮らしているという。

項梁の勢力を中核に据え、兵を集めていけば秦打倒は可能かもしれない!

だが、どうやって彼の軍を動かすかが問題だ。

そうか・・・・ふふふ・・・・・。彼を動かせるのは私だけか。

私が死んだ陳渉の使者の成りすまし、威儀を正して『お前を楚の上柱国
(楚の丞相のこと)に任命する。

すぐさま西進して秦を撃て』と命ずれば、

項梁は必ず西進するだろう。彼だって、自分の置かれている立場は分かっているはずだ。

独力では秦は滅ぼせないと重々承知のはずだからな。

項梁軍を動乱に叩き込めば、私は引退して瓜でも作って暮らそう。

あとは、秦が滅び新しい王朝が始まるだろう。

そこからはもう私には関係の無いことだ。

はははは。楽しくなってきたな・・・・・」



この召平という男、只者ではない。

智謀は項梁を遥かに越え、時代の先行きを見通す目は恐ろしいものがあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


結局、項梁は召平に騙された。

項梁は、楚の上柱国になり(なったつもり^^;)八千人を率いて西進を開始した。

「項梁動く!!」の報は瞬く間に四方に広まり、

陳嬰・黥布・蒲将軍(名前は伝わっていない)が傘下に加わり、あっという間に7万の大軍となった。

召平が見込んだ通り、項梁軍は凄まじい吸引力を持った集団となったのだ。

項梁軍は、下に腰を落ち着けた。

しかし、ここで衝撃的な事実が伝わってきた。

陳渉が大敗し、行方がわからなくなっているというのだ。(本当は敗死している)

さらに、秦嘉という将が勝手に景駒なる人物を王に立て、陳渉の後釜に据えたという情報も入った。

項梁は途方に暮れた。

自分を上柱国に任命した(と思っている^^;)陳渉がいなくなってしまったのだ。

そして、景駒とかいう人物が勝手に王になっているのだ。


項梁は、自分が陳渉のあとを継ぐ決心をした。

項梁は、

「陳王は真っ先に兵をあげたが、戦いに破れ、所在すらわからない。

なのに、秦嘉は陳王に叛いて景駒を立てて王とした。大逆無道である。

これは討伐するべきである!!」

と宣言し、甥の項羽・新加入の黥布らに命じて秦嘉を攻撃させた。

この時代を代表する猛将項羽と黥布に攻められたのでは、秦嘉もたまったものではない。

彼はたった一日で戦死してしまった。


こうして項梁は名実共に反乱軍の首領となったのである・・・・・・・

召平? 召平は、広陵の人である。世襲の秦の東陵侯であった。秦末期、陳渉呉広に呼応して東陵の街を斬り従えようとしたが失敗した。後すぐに陳渉が敗死し、秦軍の脅威に脅かされた。長江の対岸の項梁勢力に目をつけ、陳渉の使者に成り済まし項梁を楚の上柱国に任命すると偽り、項梁を秦討伐に引きずり出した。後しばらくしてあっさり引退し平民となり、瓜を作って悠々と暮らしていた。貧困ではあったが苦にする様子も無く、実った瓜を近所の農夫に分けたりしていた。その瓜は特別旨かったので人々は『東陵瓜』と呼んだ。召平は、かつて秦政府から東陵侯の爵位を貰っていたからである。後、彼は漢丞相の蕭何の相談役となり、適切な助言・計略を蕭何に与えた。蕭何は、何度も彼のあばら家を訪ねたという。蕭何が蒲団の上で死ねたのも彼のおかげである。

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