第五話:太子丹その2


秦軍は平陽で趙王を捕えてこれを滅ぼし、自らは軍を率いて邯鄲へ駐屯し

今にも燕へ攻め込む勢いであった。

邯鄲に入ったえい政は、人質時代(政は趙で生れた)に怨んでいた趙の人間をことごとく捕え

皆穴埋めにした。


その後しばらくすると、秦王政から咎めを受けた秦の将軍・樊於期が燕へ亡命してきた。

太子丹は樊於期を受け入れとどめておいた。

鞠武はまたも諌めた。

鞠武 「太子さま、いけません。

暴虐な秦王が燕に対して怒りを重ねていること自体冷や汗が出ますのに、

その上、樊将軍を匿ったなどと知られては燕に明日はありません。

『飢えた虎が通る道に肉を積んでおく』とはこのことですぞ。

禍は救いようがありません。管仲・晏嬰のような宰相がいても策は無いでしょう。

樊将軍を今すぐ匈奴へ追いやり、秦王が燕を攻める口実をなくしてください。

西の韓魏趙と連合し、北は匈奴と講和すれば万全の計画を立てることができます。」

太子丹 「傅(鞠武)どのの策は、長い時間がかかるではないか。

私は憂い乱れ少しも待つことはできない。

それだけではない。樊将軍は孤立無援の窮地に立たされ、私を頼ってきたのだ。

強大な秦に脅されたからといって、同情する友を匈奴に捨てることなどできぬ。

どうしても樊将軍を捨てるのならば、私が死んだ後にしてくれ。」

鞠武 「・・・・・・・・・。

太子さまは危険を冒しながら安全を求め、禍を生み出しながら福を求めておられる。

その策は浅はかで、生じる怨みは深くなりますぞ。

たった一人の交わりを大切にし、国家の行く末を案じないのは

『怨みを増大させ禍を助長する』ということになりましょう。

あの強暴な秦が我が燕を攻めれば、結果は申すまでもありません。

もう、わたくしは相談相手にはなれません。

我が燕に田光という方がいます。智恵深く勇敢沈着なお方です。

その方にご相談なされてはいかがです。」

太子丹 「傅どのの紹介で田先生とお付き合いしたい。」

鞠武 「承知いたしました。」

鞠武は退出するとすぐさま田光に会い、「太子が国家の大事を先生に打ち明けたいと考えている。」

と伝えた。田光は「かしこまりました。」と言ってすぐに太子の邸へ向った。


田光が太子の邸へ到着すると、すでに太子は出迎えに出ていた。

太子は後ろ向きに進んで邸内を案内し(賓客に尻を見せないようにする為)

床に膝をついて田光の座席の塵を払った。

田光が座ると、側には誰もいなくなった。

太子丹 「先生。燕と秦は並び立ちません。

どうか先生の策をお聞かせください。」

田光 「ははは。太子さまは、この田光の若いころのことをお聞きしたのでしょう。

今はもう気力は失せました。

『駿馬は一日千里を行くが、老い衰えると駄馬にも先を越される』

というではありませんか。

仮に私がまだ元気であっても、到底国家の大事には当れません。

お役にたてるとすれば、我が友の荊軻だけであります。」

太子丹 「どうか、先生のお引き合わせで荊卿とお付き合い願いたいのですが。」

田光 「承知いたしました。」

田光はすぐさま立ち上がり、小走りに退出した。丹は田光を門まで見送った。

太子丹 「先生。それがしがお話したこと、先生が仰られたことは

決して他言なさいませぬようお願いいたします。」

田光 「はははは。確かに。」


田光は自宅へ帰ると、背をかがめ歩いて荊軻のところへ行った。

田光 「荊卿よ。私と貴殿が親密なことは燕では皆知っておる。

今さっき、太子さまが私に『燕と秦は並び立ちません。

どうか先生の策をお聞かせください。』と仰られた。

私は『もう駄馬になりました』と申し上げた。

貴殿とは遠慮のない仲ゆえ、貴殿のことを太子さまに推薦した。

どうか太子さまの邸にあがってもらえまいか。」

荊軻 「田先生のお言葉どおりにいたします。」

田光 「荊卿は『長者は人に疑いを抱かせぬ』という言葉を知っておろう。

先ほど太子さまは私に『これは国家の大事。他言なさらぬように。』と仰られた。

これは太子さまが私を疑っておいでだということだ。

人に疑いを抱かせるようでは、義侠の名がすたる。

貴殿は急いで太子さまの下へ行き、『田光は自害し、他言いたさぬ証としました』

と伝えてくれ。」

言い終わると田光は首をかき切って死んだ。

荊軻は太子に会いに行った。


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