第四話:太子丹その1


紀元前232年、秦で人質となっていた燕の太子・丹が逃げ戻ってきた。
(ちなみに燕国姓は史記では周王朝の姫姓とし、竹書紀年では異姓のきつ姓。)

丹は幼い頃人質として趙にいたが、えい政(後の始皇帝)と家が近く同じ年頃でもあったことから

仲良く遊んでいた。

後に丹は秦王となったえい政のもとへ人質として赴いたが、丹への待遇は悪かった。

丹はこれを恨みに思い、出奔して燕へ逃げ帰ったのであった。


秦の膨張政策は激しく燕は日に日に領土を削られ、またえい政への憎悪もあり、

丹はえい政に報復してくれる者を求めたがうまくいかなかった。

丹は焦り、傅(太子の教育役)の鞠武にどうしたらよいか訊ねた。


鞠武 「秦の国土は北に甘泉・谷口の険峻があり、南に水・渭水の肥沃な地があり、

巴や漢中の豊穣を独占し、隴蜀の山脈と函谷関・こう山の要害を持ち、

武器防具は余り、兵士となる人口は多いのです。

秦が本気で燕を攻めようと思えば我が国はどうなるかわかりません。

なぜ秦王に侮られたくらいの怨みで、秦の逆鱗に触れようとなされるのです。」

太子丹 「それではどうすればよい。

一体どんな方法で秦を止めればよいのか。」

鞠武 「・・・・・・・・・。

それではもっと策を考えましょう・・・。」



「出奔して燕へ逃げ帰った」

史記索隠は小説『燕丹子』からの引用を記載する。

「丹が帰国を願うと、秦王政は『烏の頭が白くなり、馬に角が生えたら帰国を許そう。』と言った。

丹が天を仰いで嘆くと、烏の頭は白くなり、馬に角が生えた。」

荒唐無稽な話ではあるが、読み物としては面白いかもしれない。



巴や漢中の豊穣を独占し

史記貨殖列伝に巴蜀漢中の豊かさを裏付ける記載があるので触れておく。


「南則巴蜀。巴蜀亦沃野、地饒巵、薑、丹沙、石、銅、鐵、竹、木之器。

南御てんほくほく僮。西近きょうさくさく馬、旄牛。

然四塞、棧道千里、無所不通、唯襃斜綰轂其口、以所多易所鮮。」


南には巴と蜀がある。巴も蜀もまた肥沃な大地であり、クチナシ・ハジカミ・水銀・銅・鉄や

竹・木で作った器物を多く産出する。

南部ではてんほくを抑え、ほくでは奴隷を産出する。西はきょうさくに近く、さくでは唐牛を産出する。

巴・蜀の四方は険阻な山が自然の要害を成し、しかも桟道は千里も続き、何処へでも通じているが、

漢中にある襃谷と斜谷のみが巴・蜀への出入口である。

これらの道を利用して、巴・蜀で余った物品を少ない物品と物々交換するのである。




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