第二話:韓信暴走

田横は大国・斉を掌握し、斉の民を大いに綏撫したため国はよく治まった。


それから3年後、漢王劉邦は劣勢を挽回すべく、斉を傘下に入れようと

名将韓信を別働隊として北方へ侵攻させた。

韓信は、魏・代・趙・燕を疾風の如く手に入れ、残る大国・斉と睨みあった。

田横は、華無傷(か・ぶしょう)と田解(でんかい)に命じて国境を守らせ、韓信の侵入に備えた。



また、劉邦は韓信の侵攻命令とはまったく別に、斉を弁舌で落とす策も実行していた。

儒者であり雄弁な論客の食其(れき・いき)を説客として斉国に送り込み、

斉王田広や首相の田横を説得しようとしたのである。



食其は、劉邦の寛大さを詳しく述べ、

項羽があまりにも沢山の敵を作ってしまったことを実例を挙げて説いた。

そして、漢が兵糧の補給に優れていることを具体例を挙げて示し、

楚が兵糧の補給に難渋していることを列挙した。

田広・田横は、食其の弁舌にスッカリ酔ってしまい、

華無傷と田解に命じて国境の守備体制を解かせた。アララ・・・

そして、平和の使者・食其をもてなす為、斉では連日宴会が行われた。



一方、拍子抜けしたのは韓信である。

自分の任務は「斉討伐」だったのに、食其が先に斉を下してしまっているではないか・・・。

韓信は、ちょっと劉邦の無節操さに腹が立った。

そこに付け入ったのが、韓信配下の縦横術(権謀術数で諸国を離合集散させる学派)の論客・(かいつう)である。


「韓信どのは、『斉を攻撃せよ』と漢王から勅命を受けたのですぞ。

それなのに漢王は内密に使者を立て、斉を降伏させてしまいました。

食其とかいう男は一介の弁士にすぎませんが、

馬車の手すりにもたれつつ三寸の舌をふるって、斉の70余城を降してしまいました。

韓信将軍は数万の兵を率いられ、一年かかってやっと趙の50余城を降しました。

こんなことでは、将軍の軍功があの腐儒の舌にも劣ることを証明しているようなものですぞ。

将軍は、それでいいのですか!!」



韓信はこれを聞いて、

「そうだ!俺の軍功があんな儒者の舌に劣るなんて癪に障るゼ!今すぐ斉に攻め入れ!!」

と、ナント進撃命令を出してしまったのだ。



斉では食其の説得に応じ降伏していたつもりで、国境守備隊も解散していたので、

韓信はあっという間に斉の都・臨に迫った。



田広と田横は、食其が韓信と共謀して斉を欺いたと思い込み、食其を煮殺そうとした。

田広「おまえが韓信軍を止められるなら、生かしておいてやる。さもなくば、おまえを煮殺すぞ!」

食其「大事を成すには詰らぬ気遣いはせぬという諺がある。

素晴らしい徳を持つ者はくだらぬ礼儀にはこだわらぬという諺もある。

俺があんたに語ったことはすべて真実だ。だがおまえは信用せぬ。

なぜ、貴様のような奴のためにあらためて韓信に頼みごとをしなければならんのだ!

俺様は断じてせぬ!!ははははは、思い知ったか!!」

田広「ぬうううううう・・・、こやつを煮殺せ!!!」


こうして、食其は殺されてしまった。



韓信は容赦なく臨を攻め、斉の都はあっという間に落ちた。

斉王・田広は東方の高密(こうみつ)に逃げ、項羽に援軍を請い、

猛将・竜且(りゅうしょ)が楚兵を率いて援軍に来た。

しかし、韓信はいとも簡単に楚・斉連合軍を破り、斉王田広・総大将竜且を捕え、斬った。



田横は博陽(はくよう)という所に逃げ込んでいたが、斉王田広の死を確認すると、自ら斉王を名乗った。

遂に、兄弟揃って斉王(自称^^;)になったのである。

そして、斉王田横はすぐ引き返して韓信に戦いを挑んだが、韓信配下の灌嬰(かんえい)に撃ち破られ、

梁にいた彭越を頼って落ち延びていった。

・・・・・・・・・・・・・・・



通の謀略で、食其は殺され、韓信は暴走し驕慢になり、斉はメチャメチャになり、

田横は国外へ逃亡せざるをえなくなった。



この通という男、恐ろしい謀略の持ち主である・・・

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