第三話:自刎
田横が彭越の下に逃げ込んだあと、劉邦は項羽を滅ぼし帝位についた。

田横は、彭越に迷惑がかかる、そして食其殺害の罪を追及されるのを恐れて、

家臣500余名と共に船に乗り、海中の(正確な場所は不明)に移り住んだ。



劉邦はそれを聞くと、

「田横は斉で慕われているし、斉の優れた人材が彼を慕って島に移り住んだようだ。

田横が島にいるうちに始末しておかないと、あとあと反乱の首領に担ぎ上げられるだろう。

罪をすべて赦すと偽って、田横を都に誘き出し、始末してしまおう。」

と考え、田横が住んでいた島に詔を伝える使者を出した。



田横はこれを聞き、罠の臭いを嗅ぎ取った。

そして、劉邦の使者に、

「私は、かつて陛下の使者である食其どのを煮殺しました。

彼の弟・(れきしょう)将軍は近衛隊長で、陛下も信頼なされているとか・・・。

私は商どのの報復を恐れ、詔をお受けする勇気はありません。

どうか、このままこの島に平民として住まわせてください。」

と伝えた。



だが劉邦もしつこかった。

彼は、商に報復を禁じる詔を出し、もし報復行動に出たら一族皆殺しにするとまで言った。

そしてもう一度、田横に詔を伝える使者を出した。

商の報復を恐れることはない。彼が報復行動に出れば、一族皆殺しにする勅命も出した。安心せよ。

田横よ。いまそなたが招きに応ずれば、よくても王、わるくても侯にはなれるのだぞ。

もし応じないのならば、すぐにでも兵を率いてそなたを捕え、処罰するぞ。」

と使者に言わせた。



もう田横には、この横車に対抗するだけの勢いはなかった。

彼は仕方なく劉邦の招きに応じ、食客二人を連れて旅を急いだ。

田横はこのときすでに自分の死を確信していた。

彼は洛陽の手前30里まで来ると、劉邦の使者に、

「天子にお目通りする前には禊ぎをし、髪を洗わなければなりません。」

と断りをいれ、休息をとった。



田横は、二人の食客に向かって穏やかに最期の言葉をかけた。

「私は、かつて劉邦と同格の王位にあった。

だが今、彼は皇帝で、私は亡命者として彼に仕えることになる。

その恥辱はひどいものだ。私はその恥に耐えられそうもない。


それに、私は人の兄を殺しておきながら、その弟と同じ主君に仕えることとなる。

たとえ彼が勅命をはばかり報復してこないにしても、

私の心は彼に対してすまない気持ちでいっぱいであろう。

私は何の面目があって生きてゆかれるのか。


それにまた、陛下が私に会いたいと思われるのは、

私の顔を一目でも見ようという、ただそれだけのことであろう。

今、ちょうど陛下は洛陽におられる。

今、私の首を持って洛陽まで馬を早駆けさせれば、容貌も崩れず観察していただけるだろう。」

と言い、自分で首を掻き斬り、二人の食客にその首を持たせ、早駆けして劉邦に献上させた。



劉邦は大いに驚き、偉大な田横のために涙を流した。

「平民から立ち上がり、一族三人がかわるがわる王位についたのは、

やはり彼らが立派で、人の心を打つ行動を取っていたからだったのか。

今、ようやくわかった。なんと立派な人間ではないか。」

そして、その食客二人を都尉に任命し、兵卒2000人を動員して王を葬る格式で田横を葬った。



葬儀が終わると、食客二人は田横の墓の脇に穴を二つ掘り、二人とも田横のあとを追って自刎した。

劉邦はこれを聞いて心打たれ、田横の食客はみな優れた人間だと考え、

まだ島に残っていた500余人を都に召し寄せた。

彼らは、洛陽に到着し田横の死を知った。

そして、やはり食客500余人は田横の後を追って自殺して果てた・・・



なんと田横は高い節義を持っていたことか。すばらしい人間ではないか。



司馬遷は、この逸話をこういう言葉で結んでいる。

「田横は高い節義をもった人間である。彼の食客はみな彼の節義を慕い、後を追って死んだ。

すばらしい人間ではないか。だから、私はこの列伝の中に入れたのである。

しかし、食客の中には策略に長けた者もいたのに、

田横の最期をどうすることもできなかったのは何故であろうか。」

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