第五話:独創的戦術



漢の二年(紀元前205年)六月、漢に降伏した魏王魏豹が劉邦に使者を遣して、

「親の病気を見舞いたいので、帰国したい。」と願い出、

帰国すると直ちに漢との国境でもあった河水(黄河)の渡し蒲津関を封鎖し、項羽と講和した。

劉邦はれき食其を遣わして説得を試みたが、失敗した。


劉邦はこれを討伐するために、韓信を左丞相に任命し、独立した一軍を率いさせ魏を攻撃させた。

漢軍が進攻してくると聞いた魏豹は蒲坂に兵を集中させ、

河水の渡し場を封鎖した。

これに対し、韓信は実に柔軟だった。

河水に船を多数並べ、力押しで渡ろうとしていると

見せかけて、裏では密かに別軍を派遣し、

夏陽から渡河させていたのである。

しかし、大規模な軍事行動は即魏軍に察知されてしまう。

数千人分が渡河するための民船を徴発したりすれば、

敵に作戦が筒抜けとなってしまう。

そこで、韓信は独創的な案を出した。

民間から木の桶を徴発し、それを縄で繋ぎ合わせ、その上に板を乗せて船の代わりとしたのだ。

夏陽から密かに渡った別働隊は、蒲坂で韓信本隊と対峙している魏軍など無視し、

一気に魏の首都安邑を衝き、すぐにこれを占領した。

「魏都占領される」の報は瞬く間に広まり、魏豹を激しく狼狽させた。

前に韓信、後ろに別働隊。いつの間にか挟撃され、首都は奪われているのである。

魏豹はまるで悪夢でも見ている気持ちであったであろう。

魏豹は悪あがきをして韓信に決戦を挑んだが、韓信は赤子の手を捻るが如く快勝し、

簡単に魏豹を捕らえた。

韓信は魏豹を殺さず、けい陽にいた劉邦に送った。劉邦は魏豹を赦し、けい陽の守備につかせた。

魏国は河東郡・太原郡・上党郡に分割された。



韓信の才能をつぶさに知った劉邦は非常に喜んだ。

自分がけい陽で囮となり項羽をひきつけておき、その間に韓信なら項羽の同盟国であった

代・趙・燕・斉を片っ端から攻め降すことができると考えたからである。

(『史記』のこのくだりを読むと、壮大な軍略に感嘆を禁じえない。)


劉邦は項羽の後背地を脅かすべく、老いたる張耳を韓信の下にさらに派遣し軍を増強させた。

韓信と張耳は代に侵攻し、楽々と支配者であった夏説を捕虜とした。

劉邦は項羽に負け続けそのつど兵を失ったので、韓信が戦に勝つたびにその精鋭を奪った。

劉邦があまりにも度々兵を奪うので、韓信軍はわずか二万人前後となっていた。

要するに韓信は弱兵を率いることを強いられたのである。

韓信と張耳はその兵を率いて、大国趙を攻めなければならなかった。


誰しもが、韓信は負けると思っていた。

張耳や曹参でさえそう思っていた・・・


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