大将任命式が終ると、韓信は漢王の居間へ入り、座に着いた。 劉邦は、韓信の才能を知らず蕭何惜しさに韓信を大将にした。 劉邦はその事情を包み隠さずに語った。 |
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劉邦 | 「蕭丞相が、度々将軍を推挙した。私は将軍の才を知らない。 将軍はどういう策をワシに授けてくれるのかな?」 |
韓信 | 「まずは、見ず知らずの私を大将に任命してくださったことを感謝いたします。 現在、東に向って天下を争おうとなされている相手は誰ですか。」 |
劉邦 | 「項王じゃが…」 |
韓信 | 「漢王さま。ご自分を省みて、勇猛さ・果敢さ・情深さという点で、 漢王と項王のどちらが上でしょうか。」 |
劉邦 | 「・・・・・・・ワシは項王に及ばぬが・・・。」 |
韓信 | 「不快な質問にお答えくださり、ありがとうございます。 臣もそう思います。では、項王の人柄を申しましょう。 臣は以前項王に仕えていたことがございますので、彼の人柄を知っております。 項王が激怒し激しく怒鳴りつけますと、皆恐怖に駆られ千人の勇者もひれ伏します。 ところが、、彼は優秀な将軍を抱えているのに、彼らに仕事を任せきることができません。 あれはただの凡夫の勇気と言えましょう。」 |
劉邦 | 「・・・そうか。」 |
韓信 | 「項王は人と会うとき、礼儀正しくて思いやりがあり、言葉遣いは穏やかです。 人が病気に罹りますと、涙を流して見舞い、自分の食事を分けてやります。 ところが人が手柄を立てて、いざ爵位を授ける時になると途端にケチになり、 印の角が磨り減るまで手の上でおもちゃにし、結局授けません。 あれは婦人の情け深さと言えましょう。」 |
劉邦 | 「なるほど。・・・知らなかった。」 |
韓信 | 「項王は力で天下を抑え、諸侯を臣下にしておりますが、 関中を都とせずに彭城に都を置きました。 また、義帝との約束に背き、漢王を僻地に追いやり、えこ贔屓で王を立てました。 これは不公平というやつです。 さらに、項王は義帝を江南の僻地に追放し、諸侯は国へ帰ると君主を追い出し、 項王を真似て自分が王になりました。 そして、項王が進軍した跡はどこもかしこも破壊しつくされ、天下の民は怨んでおり、 民衆はただただ項王の威力を恐れて従っているだけです。 項王の名目は覇者ということですが、実質は人心を失っております。 故に、項王の強さを弱くすることはたやすいことなのです。 漢王さまは、項王のやり方の逆をゆかれればよいのです。 天下の勇者に戦をお任せになられましたら、勝てない戦は無いでしょう。 手柄を立てた臣下には、天下の城邑を惜しみなく与えれば、誰もが心服いたします。 正義の兵をおこし、東へ故郷へ帰りたいと思っている兵を従えて進軍なされれば、 決して負けることはありません。 その上、関中を支配する三秦の王はもと秦の将軍で、数年の間、秦の若者を指揮し、 戦死させた兵士は数え切れませんし、新安では項王が二十余万の秦兵を騙して 三秦の王、章邯・司馬欣・董翳以外、全員生き埋めにしました。 関中の人民はみなこの三人を憎み、憎しみは骨髄にまでしみこんでおります。 現在、項王はこの三人をむりやりに三秦の王といたしましたが、 関中の民で彼らに親愛感を抱く者などおりません。 |
劉邦 | 「ふむふむ。確かにその点では項王は取り返しのつかない失敗をしたな。」 |
韓信 | 「漢王さまは武関を越えられた後、秦の過酷な法律を廃止なされ、 秦の人民と三ヶ条の法律を取り決められただけでした。 故に、秦の人民は漢王さまが関中王になることを希望しておりました。 また秦の誰もが義帝との約束を知っており、 当然漢王さまが関中王となると思っていました。 しかし、項王は漢王さまを巴蜀に左遷し、秦の人民はみな残念に思っております。 今、漢王さまは総勢を挙げて東へ進撃されましたならば、 三秦は檄文を飛ばしただけで平定できましょう。」 |
劉邦 | 「おお! なんということだ! ワシは韓将軍を見出すのが遅すぎたぞ!」 |
こうして、韓信の卓越した分析力と見通しはすべての人を唸らせた。 劉邦は、韓信とさらに語り合い、三秦進撃の詳細な策を立て、 韓信の策通りに将軍たちの戦闘配置を整えたのであった・・・ |