第二話:劉邦のもと、韓王に韓王信は劉邦につき従って秦の都・咸陽を落とした。 秦を滅ぼした劉邦の功績は疑いも無く絶大なものだった。 しかし、劉邦の上司である項羽は認めなかった。 項羽は、「俺が秦正規軍を足止めしていたから劉邦は楽々と咸陽を落とせたのだ。 俺がいなければ、あの戦下手は秦軍に粉々にされていただろう。奴の功績は即ち俺の功績だ!」 と考えていた。 結局、劉邦は辺境の漢・巴・蜀の地に封ぜられた。彼が不満だったのは言うまでもない。 しかし、彼は「忍ぶ」ことの天才であった。 「今の項羽には絶対に勝てん。焦って討滅されるよりは一時の恥を受けよう」 と、すんなりと領国に向かった。 韓王信も、劉邦の漢中入りに従った。 彼は劉邦が天下への野心を持っていることを知っていた。 「劉邦さま。私達はこんなド田舎に左遷されて無念の思いで一杯です。 王さまの兵達は東方の出身ですから、この左遷は兵達も無念でしょう。 そして皆、望郷の念を抱いているでしょう。 兵士達の望郷の念をかきたて旧秦の地を攻めれば、間違いなく旧秦は手に入ります。 旧秦の地を得れば、項羽と天下を争うことができます」 と献策をした。 劉邦はこの意見(同じ献策をした人間が多数いたらしいが)を採用し、 旧秦の地を攻略し「漢王」を名乗り漢を建国した。 劉邦は、「韓の地を手に入れたら、お前を韓王にたてることにした。 お前の献策のお蔭でやっと辺境の地から這い上がれたのじゃ」 と、韓王信に王位を約束してくれた。 その後、韓王信は韓の地を攻略し十余城を手に入れた。 劉邦も援助してくれ、韓全土が降った。 遂に韓王信は王位に就いたのである。 旧韓が秦に滅ぼされてから、実に25年の歳月が経っていた・・・ |