第九話:漢の淮南王
黥布は、楚の使者を殺し、漢に味方することを明らかにした。
以前、随何は「項羽は斉に留まらざるを得ず、その間に漢王が天下を取る」と分析した。
確かに、項羽自身は斉の反乱鎮圧に手を焼いており、斉に留まった。
しかし、項羽は儒者・随何の理論の中に入る人物ではなかったのだ。
項羽は、猛将の竜且(りゅうしょ)と項声(こうせい)に兵を預け、九江王を討伐することにしたのだ。
黥布と随何は、たった3万で56万の漢軍を破った項羽を忘れていたのだろうか・・・?
九江の首都・六は楚の大軍に包囲された。
しかし、さすが勇猛で名を轟かせた黥布である。
たった1万の兵で、楚軍の猛攻を数ヶ月間耐えた。
しかし、何ヶ月耐えても援軍が来るあてもない。
随何は、黥布に逃げることを勧めた。
結局、黥布は随何とたった二人だけで遁走した。
置き去りにされた黥布の妻・子・親族は皆殺しにされた。
落剥した黥布は、やっと陽に着き、漢王劉邦と面会した。
が、劉邦の態度は非常に横柄であった。
しかも女に足を洗わせながらの面会だったのだ。
黥布は非常に腹を立て、漢に味方したことを深く後悔し、惨めな自分を救う為に自殺しようとした・・・。
しかし、案内された宿舎に入ってみると、調度品・馬車・食事・家来など、劉邦と全く同じであったため、
黥布は、「これは、予想以上の厚遇だ・・・」と感激し、喜んだ。
その後、黥布は九江に密使を出し、ひそかに家臣や兵をかき集め、数千人の兵を獲得した。
劉邦は、更に多くの兵を黥布に与え、行動を共にした。
・・・・・・・・・・・・・・・・
その後、劉邦の謀臣である張良らは、項羽の本拠地を攪乱する計略を立てた。
その後方攪乱軍の指揮官に選ばれたのが黥布と劉賈(りゅうか:劉邦のいとこ)だった。
そして、黥布は淮南(わいなん)王に任じられた。
漢でも王位に就いたのである。
黥布と劉賈は、黥布の旧領土・九江から侵入し、項羽が留守中の江南の地を攻め取った。
黥布・劉賈軍は次々と城を落とし、占領地を拡大していった。
が、黥布と劉賈は敵地に侵入しているので速戦即決が望ましかった。
そこで、項羽の留守を守る大司馬(軍最高幹部の官名)の周殷(しゅういん)に投降を呼びかけた。
はたして、周殷は楚を裏切った。
楚の実情と、黥布の軍事能力を知っていたからであろう。
こうして項羽の本拠地は漢軍のものとなった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ついに、項羽は追い詰められた。
東は劉邦、北は韓信、南は黥布に囲まれたのである。
韓信軍は南下し、黥布軍は北上し、垓下(がいか)で項羽を包囲した。
漢軍は項羽を打ち破り、天下は平定された。
黥布は九江・廬江・衡山・予章の諸郡を与えられ、生まれ故郷の六を首都とし、淮南王となった。
故郷に錦を飾ったのである。
天下を取ることはできなかったが、黥布は予言通り王位に就いたのであった。