第十話:皇帝への夢



項羽を滅ぼし、劉邦は漢帝国を起こした。

劉邦は、項羽討滅に尽力した諸侯を王や侯に任じた。

@臧荼を燕王に、A張敖を趙王に、B韓王信を韓王に、C彭越を梁王に、D韓信を楚王に、

黥布を淮南王に、を長沙王にそれぞれ任じ、領地に住まわせた。

しかし、漢帝国の方針は功臣粛清であったため、ほとんどの王は殺されたり廃されたりした。

これから、どのようにして王たちが廃されていったかを述べたいと思う。





王位にあった功臣の廃された順番と理由

@燕王臧荼 燕王・臧荼は真っ先に廃されてしまった。王位にあったのは、たった8ヶ月であった。

『史記』には、何故臧荼が造反したのか理由も記されておらず、

罪をでっち上げられ、討伐を受けたものと思われる。

後任の燕王には、劉邦の幼馴染の盧綰(ろわん)が任命された。
D楚王韓信 項羽討滅に一番功のあった人物。

だが野心があり、劉邦に早くから警戒され、粛清の対象となった。

造反の理由もイマイチ不明瞭であり、政府側のでっち上げと思われる。

後任は劉賈劉交。領土を分割して荊王と楚王となった。

韓信は汝陰侯に格下げとなった。後、謀反を企てたが失敗し、一族皆殺しとなった。
B韓王信 代々、韓を領土としてきた春秋戦国の王族。

軍事能力が高く劉邦も一目置いていたので、匈奴対策として代に国替えされた。

が、劉邦に猜疑され匈奴に亡命後、戦死。

後任の代王には劉仲が任命された。
A趙王張敖 劉邦の恩人、張耳の息子。劉邦と呂后の間にもうけられた魯元公主と結婚。

そのような背景から、地位は安泰かと思われたが、

家臣が劉邦殺害を謀ったため、宣平侯に格下げされた。

後任の趙王には劉如意が任じられた。
C梁王彭越 韓信・黥布と並んで、漢の天下統一に大きな功績のあった人物。

韓信を粛清した漢帝国の政策を恐れ、自分も誅殺されるのでは、と思いつめる。

そこへ、劉邦からの出頭命令が来てしまい、仮病を使ったが逮捕される。

後、罪をでっち上げられ、死刑となった。罠に嵌まったと言える。

後任の梁王には劉恢が任命された。



こう見てみると、漢建国に功のあった人物で残っている王は、

淮南王・黥布と長沙王・呉だけとなってしまったのが分かる。


王位にあるのは、戦功の一つも無い劉一族の人たちばかりである。(劉邦の幼馴染の盧綰は除く)

これでは焦るなと言う方が無理であろう。明日はわが身である。



しかも、梁王・彭越は誅殺されたあと塩漬けにされ、

その肉は群臣に漏れなく配られた。

勿論、黥布のもとにも人肉ハムが来た。



黥布は密かに軍備を増強した。

・・・・・・・・・・・・・・・



そんな時、黥布の寵愛していた妾が病気に罹ってしまった。

黥布の重臣の賁赫(ひかく)は、家が近いこともあって黥布の愛妾を度々見舞った。

これを聞いた黥布は、「賁赫が自分の愛妾と密通したのではないか?」と疑い、

賁赫に出頭するよう命令した。

賁赫は黥布の残忍な性格を熟知していたので、仮病を使った。

黥布はますます腹を立て、賁赫を捕えて殺そうとした。



無実の賁赫は、「殺されてたまるか!!」とばかりに、長安の劉邦の元へ逃げ込み、

一大事と騒ぎ立てながら上書した。

「淮南王黥布は密かに軍備を増強し、造反しようと企てております。

まだ、事を起こさないうちに処刑したほうがよろしいでしょう」



しかし、劉邦は信じなかった。丞相の蕭何も信じなかった。

賁赫は偽証罪で投獄された。

しかし黥布は、「賁赫の野郎が淮南の機密を全てバラしたに違いない!!」と追い詰められていた。

黥布は、賁赫の一族を皆殺しにし、兵をあげて叛いた。

そして、部下の将軍達に、こう豪語した。

「俺と対等に張り合えるヤツは、彭越と韓信だけだった。

しかし、その二人はもう死んだ。

劉邦の野郎も老いぼれになった。親征はしないだろう。

あとの野郎どもは俺にはかなわん。

この戦、必ず勝つ!!」




その強気の言葉通り、

黥布は荊王・劉賈の軍に猛攻を加え、劉賈を殺し、荊の兵をすべて奪い取った。

次に、楚王・劉交を攻めた。しかし黥布の敵ではなく、あえなく楚軍は打ち破られた。



そして遂に、皇帝劉邦の軍と遭遇した。

「親征は無い」と黥布は思っていたが、劉邦は自ら兵を率いてきたのだ。



しかし、黥布の軍事能力は劉邦の能力を遥かに上回っており、黥布軍を軽視することは出来なかった。

そこで劉邦は、砦を築き、じっくりと対陣しようとした。

ある日、劉邦が黥布の布陣を見ていると、あることに気付いた。

黥布の布陣が、項羽の布陣と全く同じであったのだ。

劉邦は嫌悪を感じ、怒りが込み上げてきて、城壁の上から叫んだ。



劉邦「何をうろたえて謀反など起こした!!」

黥布「皇帝になりたいだけさ!!」

劉邦「ほざくなこの野郎!!今、ケリをつけてやる!!」

黥布「望むところだ!!」



こうして、大激戦となった。

黥布軍は、漢正規軍に大敗し、敗走した。

が、さすが黥布である。

度々、踏み止まって戦い、遂には劉邦を負傷させた。

しかし、多勢に無勢。結局、黥布は妻の実家・長沙王を頼って逃走した。



長沙王は、初代の呉が病死したために、二代目呉臣の代となっていた。

(呉臣と黥布の妻は兄妹であり、黥布は妹婿にあたる。)

黥布が保護を求めて逃げ込んできたのは、呉臣にしてみれば迷惑千万であった。

黥布との姻戚関係だけでも長沙王を廃される理由になるのに、黥布を匿いでもしたら間違いなく誅殺されるであろう。

結局、黥布は義理の兄・呉臣に騙され、陽湖の近くで殺され、首は劉邦に献上された。

陽湖は、かつて黥布と呉臣の父・呉が兵をあげた地であった。



こうして、一世の梟雄・黥布は舞台から去った・・・・



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