第六話:その後


韓信の軍を強奪した夏侯嬰と劉邦は、またも勢力を盛り返した。

そのしぶとさが劉邦を天下人に押し上げた。劉邦は項羽を打ち破り、皇帝となった。


夏侯嬰は項羽との戦い全てに参加し、常に劉邦の御者をした。

勝ったときも、負けたときも、常に劉邦と一緒だった。

それは、劉邦が皇帝になったあとも同じだった。


あるとき、匈奴が辺境地域で蠢動し、劉邦は討伐を決意した。

漢軍は匈奴軍を簡単に打ち破り、逃走する匈奴兵を追撃して平城まで来た。

しかし、これはワナだったのだ。

匈奴は負けたと見せかけて漢軍を平城に誘導し、一気に包囲し殲滅する作戦を立てていたのだ。

漢軍はまんまと匈奴の作戦にひっかかり、極寒の平城で7日間包囲された。

兵士の二割は凍傷で指が落ち、兵糧が切れ飢えた。


しかし、鬼謀の人・陳平が、

「単于(匈奴王)の閼氏(単于の夫人)に賄賂をたんまり贈り、

閼氏をもってして包囲網の一角を解くよう単于に説得させるのです」

と献策した。

劉邦は半信半疑だったが、藁をもつかむ思いで実行に移した。

結果、効果覿面であった。

単于は閼氏の意見を受け入れ包囲の一角を解いたのだ。

劉邦とその兵達は、急いでそこから退却しようとした。

しかし、夏侯嬰が諌めて言った。

「急に退却すれば匈奴に急追され、被害が大きくなるでしょう。

いまは進退をとっさに変えられるよう、ゆるゆると退却すべきです。」

しかし夏侯嬰の進言は無視され、劉邦は逃げたい一心で馬車を急行させようとした。


しかし、夏侯嬰は劉邦の命令を無視し、あくまでも馬車を徐行させた。

劉邦「おい!もっと速度を上げろ!!」

夏侯嬰「・・・・・・(無視)・・・・・・」

劉邦「おい!聞いてんのか、嬰!!」

夏侯嬰「・・・・・・(まったく・・・兄貴は・・・)。」

劉邦「・・・・・・。」

こうして(ほんとかよ)劉邦は無事逃げることができた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・


その後、夏侯嬰は功臣粛清の戦いにも参加し、手柄を立てた。

その功績から、汝陰侯に封じられた。


劉邦が死んだあと、恵帝が即位した。

恵帝は、かつて自分を見捨てず馬車に乗せてくれた夏侯嬰を特別大事に思っていた。

呂后も同じ気持ちであった。

呂后と恵帝は、宮中北門に最も近い公邸を夏侯嬰に与え、

「いつも私たちの近くにおれ」と言って格別大事にした。

しかし、相変わらず官位は太僕のままだった。

結局、一生涯太僕のままだった。多分、彼の希望だったのであろう。


呂后が死に呂氏が討滅されると、夏侯嬰は文帝に仕えた。

彼はまたもや太僕に任命され、文帝の側近くに仕えることとなった。

それから八年して死んだ。


夏侯嬰は、その生涯を劉邦一人の為に捧げたと言える。

劉邦が平民だった頃からその魅力の虜となり、劉邦が挙兵してからは常に太僕として付き従い、

劉邦の身をかばい続け、時には二人きりで遁走した。

そんな彼の一生を羨ましく思うのは、私だけであろうか・・・・・


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