第一話:范陽


かい通の実名は徹という。

前漢武帝と同じ名だったために記録した史家が避けたのだ。徹と通はほぼ同義であるという。

かい通はもと燕国、たく郡范陽県の出身で、三国演義のヒーロー劉備の出身地たく県にほど近い。

また、劉備の師であった盧植もこの郡の名族であった。(下って北魏の時代には天下四姓に入っていた。)

どうやらかい通は若い頃に燕を出て斉で游学したようである。

弁術を学び、縦横家(諸国を弁舌で離合集散させる)を目指していたようだ。詳細はよく判らぬ。


秦二世元年、大沢郷で陳勝・呉広が反乱を起し、その勢いは止まらず陳を攻め落とし

陳勝は「張楚」を建国し王位についた。各地で反乱が起き、みな陳勝に呼応した。

陳勝は各地に軍を派遣して城郭を攻め落とさせた。

趙へは武臣・張耳・陳余・召騒が派遣された。

武臣は利害を説いた手紙を趙の有力豪族らに出し、数万人の軍勢と十の城を得た。

趙地方をあらかた平定し武臣は武信君と名乗った。事実上の半独立である。

そしてまだ降らない城を攻撃する為に、手始めに北東に向かい范陽を攻撃目標とした。


范陽では県令徐公の命令で籠城することに決定し、固く城門を閉ざしていた。

この時、かい通は城内にいた。

そして落城を見抜いていた。


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