第二話:計略的中


かい通は県令に面会を求めた。

ここであっさり面会してくれるということは、かい通は范陽では名の通った人物であったのだろう。


かい 「臣は范陽の百姓かい通と申します。

今、まさに県令さまがお亡くなりになられようとしております。

お気の毒でならず、お悔やみ申し上げます。」

徐公 「???」

かい 「とは言え、臣がおりますから徐公は生き延びられましょう。

お慶び申し上げます。」

徐公 「???・・・なんのことだ??

なぜ貴公は私に悔やみを言われるのか。」

かい 「徐公はこの范陽の県令になられてから十余年経ちますが、

その間、人の父をあやめ、子を孤児にし、

刑罰をもって足を斬り落とし、顔に黥刑(いれずみの刑)を施したこと、数えきれませぬ。

子を殺された慈父や、父を殺された孝子があなたの腹に刃を突き立てようとしないのは、

ただ秦の法律を畏れているからなのです。

しかし、いまや天下大いに乱れ秦の政治は行われておりません。

慈父孝子は怨みを晴らすべく、あなたの横腹に刃を突き立て名を成そうとしております。

これが、臣がお悔やみを申し上げた理由でございます。」

徐公 「わ、わかった。

では、なぜ貴公を得て私が生きられると申すのか。」

かい 「現在、諸侯は秦に叛きました。武信君の兵はすぐそこまでやってきています。

あなたは范陽を固守しようとしていますが、城内の若者たちはあなたを殺し

武信君に降伏しようとしております。

幸い、趙の武信君(武臣)は私めに使者を差し向け、臣の動向をお伺いくださいました。

徐公は、今すぐ臣を使者に立て武信君と会見せよとご命令ください。

禍を転じて福となすのは今、この時ですぞ。」

県令徐公は身に覚えのあることばかりだったので怖ろしくなり、

すぐさま馬車を仕立てかい通を趙へ派遣した。

かい通は武信君に面会を求めた。


かい 「大王は野戦で土地を奪い攻略して城を降そうとお考えでありますが、

それは危ういやり方と考えます。

もし臣の計略を用いてくだされば、戦わずして土地を奪い攻めずに城を降すことができ

檄文を飛ばせば千里の彼方まで平定することができます。」

武臣 「そればどういうことか?」

かい 「現在、范陽県令は士卒を激励して守戦すべき者であるのに、

卑怯で死を恐れ貪欲で富を好む者であり、誰よりも先に降伏しようと考えております。

しかし、武信君は先に降伏した十数城の太守を殺しました。

范陽の県令もそれを恐れて思い切って降伏できずにいます。

もし大王が范陽県令を同じように殺すならば、

他県の人々は『范陽県令は真っ先に降伏したのに身を滅ぼした』と言いあい、

城壁を高くし堀をめぐらせ城を固守すること間違いありませぬ。

そうなれば敵を寄せ付けぬ強固な城となり、攻めようがなくなります。

武信君の為に計るに、天子の乗る立派な車で范陽県令を迎え、

燕・趙の各地を巡りこれを告げるのです。

そうすれば、『あれは范陽知事で真っ先に降伏した男だ』とたちまち歓声があがり、

各県、相率いて降伏してくること間違いありません。」


武臣はその計略を尤もであると感じ、かい通に侯の印綬を持って帰らせ范陽県令に授けた。

范陽県令が真っ先に降り侯に封じられたと聞くと、燕趙では戦わずに降伏した城が三十余あった。


かい通の計略は的中した。

そして彼の名は広く知れ渡った。


「金城湯池」の語源である。

漢書原文は、「必將嬰城固守、皆為金城湯池、不可攻。」とある。

金は「堅い守り」、湯は「煮えたぎり近づけない」の喩えだという。


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