第五話:評判の秘密

呂后にもその硬骨ぶりを認められ、季布は更に昇進していった。

遂に、河東郡の太守にまで昇りつめた。

河東郡とは、旧魏の地域である。

張耳・陳余が活躍し、韓信が天才的戦術を披露し、彭越がゲリラ戦で活躍した、あの魏である。

そして、「河東」の名が示すように、黄河の東、洛陽の対岸の地域だった。

しかも、河東郡は中原に位置し、天下の要地だった。

季布は、そんな地域を任されたのである。


季布が昇進した原動力は、確かに彼の気骨と能力によるところもあった。

が、彼を河東郡太守まで押し上げたものは、

『百金を手に入れるよりも、季布の快諾を得たほうがよい』という、評判ではなかっただろうか。

その、彼の評判にはちょっとした秘密があった・・・・・


出身の曹丘(そうきゅう)という人は、雄弁な論客だった。

彼は噂を広める名人だったらしく、文帝の皇后の兄である竇建(とうけん)に大変気に入られていた。

竇建と仲のよかった季布は、曹丘のことで竇建に手紙を書き、諌めた。


竇長君へ(竇建のこと)

私の聞くところによりますと、曹丘という人は有徳の人物でない、ということです。

彼は、口舌の徒でありましょう。遠ざけた方がいいでしょう。

季布より



有言実行を守り続けてきた季布にしてみれば、

曹丘のように弁舌だけで飯を食ってる人間が許せなかったのであろう。


この話を聞いた曹丘は、

「竇建さま。私のために、季布どのへ紹介状を書いて下さいませんか?」

と言った。

竇建は驚き、言った。

「季布将軍は、あなたのことを相当嫌っている。叩き出されるかもしれない」

しかし、曹丘は無理に紹介状を書いてもらい、季布に会いに行った。


季布は、竇建からの紹介状を見て、案の定、腹を立てていた。

そこへ、曹丘が訪問してきた。

季布は怒り、怒鳴り散らした。


季布 「帰れ!!お前の顔など見たくもない!!」

曹丘 「季布将軍は、諺にも取り上げられるくらいの有名人です。

楚地方の人々が、『百金を手に入れるよりも、季布の快諾を得たほうがよい』

と言っているのを聞いたことがあります。

私も、楚の生まれですからよく知っております。


ところで、あなたはどのようにしてこんな名声を得られたのですか?

楚の人々のなかで、『季布は有言実行の人で、義を重んじ人を裏切らない人物である』

と、評判になり、

その噂が天下に浸透したからこんな名声を手に入れたのではないのですか?


私は、季布将軍の名を揚げるお手伝いがしたいのです。

私が各地を旅し、将軍の評判を広めていったら、これは凄いことになると思いませんか?


季布将軍のお役に立ちたいと思っている私を、なぜそんなに厳しく退けようとするのです?」


季布はこれを聞いて非常に喜び、曹丘に今までの態度を詫びた。

そして彼を上客として扱い、数ヶ月自宅に引き止めもてなした。

曹丘はその後、各地を旅し、行く先々で季布の評判を高めていったので、

季布の名声は益々高まるばかりであった。


そして遂に、季布の評判は天子の耳にまで達した。

ある者が、「季布は賢人です。噂どおりの人物です」と、推薦してくれたのである。

文帝は早速、季布を河東郡から呼び寄せ御史大夫(ぎょしたいふ:副総理)に任命しようとした。

しかし、季布が都に向かっている間に天子に讒言した者がいた。

「季布はただの向こう見ずな人物で、大酒のみで、酒乱です。乱暴で、近くに寄れません」

これを聞いて文帝は季布を御史大夫にすることをやめてしまった。名君の誉れ高い文帝が・・・?!

軍人に対して、妙な偏見でもあったのだろうか・・・

馬鹿を見たのは季布である。

都に着いてみたものの、御史大夫の話は立ち消えになっていた。

何ごともなく一ヶ月宿舎に留められ、その後、「帰ってもよろしい」という言葉まで来た。

そこで季布は文帝に拝謁し、言上した。


季布 「私は、漢に対し罪はあれども、功績はございません。

なのにご恩顧を賜り、河東郡にて勤務しております。


今回、天子さまが私をお召しになったのは、

私の評判を聞いて、私を推薦してくれた人がいたからでしょう。

そして、今、帰るよう命ぜられるのは、何者かが私を非難したからでしょう。


たった一人の者が私を誉めただけで、天子さまは私を召され、

たった一人の者が私を謗っただけで、天子さまは私を帰そうとします。

この有様を天下の有識者が知ったら、何と言うでしょうか?

私は、天子さまのご判断に対し、あれこれ批評する奴がでてくることが心配です」


文帝は非常に恥じ入り、しばらく黙っていたが、取り繕うように言った。

「河東郡は、朕が手足と頼む郡だ。それで季布将軍を特別に呼んだのだ」

季布は暇乞いをして河東郡に帰って行った。

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季布は、名声の大切さを身にしみて知っていたであろう。

その名声で逃げ場が無くなり、その名声で位人臣を極めたからである。

そして、評判通りの人物であり続けることですら難しいのに、

その評判をさらに高めた季布は、隠れた賢人と言っても過言ではないように思える。


漢楚時代で1・2を争う、爽やかな快男子である。


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