附記:季一族

季布は天下の有名人だったが、弟の季心(きしん)も季布に負けないくらいの有名人だった。

季心は義侠の人で、肝っ玉は誰よりも大きく、直情径行だった。

しかし、他人と対応する際は慎み深くうやうやしかったので、

季心を知る者は、争って彼の為に命を投げ出そうとした。


ある時、季心は些細な行き違いから人を殺した。彼は逃亡し、呉の地に逃げ込んだ。

呉には、袁(えんおう)という義侠の人がいた。

(彼は後年、漢廷で活躍しその硬骨ぶりを轟かせ、最後には暗殺される人物である。)

季心は、この袁を兄貴分とし、かくまってもらった。

灌夫(かんぷ)や籍福(せきふく)は季心の噂を聞いており、弟子入りし弟分となった。

(灌夫は後年、漢廷で活躍したが剛直な性格が災いして非業の最期を迎えた。)


その後、季心の殺人罪は恩赦?で赦され、中司馬に採用された。

上司には、厳格かつ酷吏として有名な(しつと)がいたが、

彼も、自分の部下なのに季心には敬意を払わざるを得なかった。


若者達の中には、「俺は、季心さまの弟分だぜぇ〜〜。金を出せ!!」

と、季心の名を騙って行動する輩が多かった。


このように、季布は「諾」で、季心は「勇」で世間に名を轟かせていたのだった。

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季布には、父親が違う、腹違いの弟がいた。名を、丁公(ていこう)といった。

彼は昔、項羽の将軍職にあり、劉邦を散々苦しめた。


ある時、丁公軍が逃げる劉邦を追撃し、劉邦は追い詰められた。

丁公は剣を片手に騎乗の劉邦を追い、劉邦自身を捕捉できる距離にまで近づいた。

その時、劉邦が急に振り返り、

「丁公よ。ここで二人の賢人が殺しあう必要があるのだろうか?」と言った。

丁公は、一世の英雄・劉邦と同格に扱われたことに気をよくし、軍をまとめ撤兵した。

劉邦は死地を脱した。


項羽が死んだ後、丁公は褒美にあずかろうと劉邦に面会を求めた。

丁公 「陛下。あの時、陛下をお助けした丁公でございます」

劉邦 「うるさいっ!!この者を縛りあげ、軍中引き回しの上、斬罪に処せ!!」

丁公 「なっ、なぜでございます」

劉邦 「確かに、お前はわしを助けた。しかし、その時のお前の主人は項羽であったはずだ。

     臣下は、主君に忠を尽くさねばならぬ。お前は、大不忠者である!!」

丁公 「おお・・・」

劉邦 「項羽が天下を取れなかったのは、お前のせいだ!!」


こうして丁公は、軍中引き回しの上、斬首された。

劉邦は、「丁公が斬首された」という報告を受けたあと、

「この後、臣下たる者に、丁公を見習わせてはならないのだ」と言ったという。



季布・季心兄弟は、決して二股をかけるような姑息な真似はしなかった。

しかし、丁公は二股をかけた。



人は、真面目に生きなければいけないようである。(なんのこっちゃ^^;)

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