第四話:暗殺失敗


この范増と項羽の会話を聞いていた男がいた。

項羽の季父(父の末弟のこと)項伯(伯は字。名は纏)である。

彼は項羽に付き従う以前、張良に命を救われ、敵味方を超えた繋がりがあった

彼は甥の激しさ、従う軍の強さを充分知っていた。

項羽軍の総攻撃を喰らったら、戦場はあっという間に劉邦軍の血で染まる。

しかし張良だけは救いたい。だが甥を裏切るわけにもいかない。

彼は悩んだ挙句項羽のもとを脱走し、なんと劉邦の下にいた張良を訪ねた。

項伯は事情を説明し、張良に一緒に逃げようともちかけた。

しかし張良は劉邦を見捨てることは出来ないとし、項伯がもたらした情報を劉邦に伝えた。

劉邦は張良に頼み込み、張良は項伯に頼み込み、劉邦は項伯を兄として義兄弟の杯を交わした。

項伯は劉邦の親書を携えすぐさま自軍に戻り、項羽に直接劉邦の話を聞くよう説得した。

項羽は季父の勧めに乗り、総攻撃を取りやめた。

そして范増を呼んだ。

項羽 「亜父、明朝劉邦がこちらへ謝罪にくるという。

総攻撃はとりやめになった。」

范増 「!!!

なんと。取りやめですと!

・・・・・・。わかりました。

ならば明日の会見で彼を殺さねばなりません。

必ず殺さねばなりませんぞ。」

項羽 「う、うむ。わかった。」


翌朝、劉邦がやってきて項羽に謝罪した。

項羽は、「公の部下の曹無傷の中傷があったのだ。そうでなければ、わしは公を疑ったりしない。」

と劉邦をあっけなく許した。項羽は元々情に厚く、劉邦を殺すに忍びなかったのだ。


項羽は直ちに酒宴を開き、劉邦を招き入れた。

項羽が東に向かって座り、項伯がその側に座り、范増は南に向かって座った。

劉邦は北に向かって座り、張良は西に向かって座った。

宴が始まると、范増はしばしば項羽に目くばせをして劉邦を殺すよう促した。

しかし項羽は黙然と酒を飲むばかり。

范増は焦り、身に帯びている玉けつ(一部分欠けた環状の玉)を挙げて項羽に合図を送った。

しかし項羽は知らぬ顔をする。三度合図したが、やはり項羽は黙って酒を飲んでいる。

項羽に劉邦を殺す気がないと知った范増は愕然とした。

范増は酒宴を中座し外へ出、項羽の従弟の項荘を呼び寄せて言った。

「わが君は人に辛く当たることができぬお人柄だ。

そなたは宴席に入り進み出て寿を祝い、その後剣舞を申し出て沛公を斬殺しろ。

そうしなければ、我々はみな沛公の捕虜となるであろう。」


范増が宴に戻ると、項荘もまた宴に入った。

項荘は寿を祝うと言った。

「わが君は沛公と酒宴を開いておられますが、軍中のこととて何の慰みもありません。

せめて剣舞でもさせていただきましょう。」

項羽はこれを許可した。

項荘はさっと剣を抜いて立ち上がった。

項羽の側に座っていた項伯は、項荘の殺気を感じ取った。

すかさず「一人では剣舞はできまい。」と立ち上がり、剣を抜いて一緒に舞った。

項荘が劉邦の方へ行こうとする度、項伯は身を挺して劉邦を庇った。

項荘は叔父を斬るわけにもいかず、なかなか劉邦を斬れなかった。


張良は酒宴を中座し、軍門まで戻り樊かいに助けを求めた。

「事態は甚だ切迫している。項荘が剣舞をしているが、狙いは沛公の命だ。」

かいは剣を帯び、盾を抱えて軍門に突入した。

入れまいとした衛士は樊かいの盾に吹き飛ばされた。

かいは宴席に入り、張良の側で西に向かって仁王立ちになり鬼の形相で項羽を睨みつけた。

かいの闖入で項荘の剣舞は終わった。

かいは劉邦を暗殺せんとする項羽を非難し、項羽は返答することができなかった。

「まあ座れ。」とだけ言って、樊かいを張良の隣に座らせた。

しばらくすると劉邦は便所に立つふりをして、樊かいを護衛として連れ出し、そのまま逃げた。

項羽は陳平に命じて劉邦を呼びにいかせたが、すでに逃げ去ったあとであった。

残された張良は、何の挨拶もなしに主が立ち去ったことを謝罪し、

白璧(中央に穴を開けた白玉)一対を項羽に、玉斗(玉でできた酒器)一対を范増へ献上した。


范増は怒り頂点に達しており、すでに項羽が間抜けに見えていたのであろう。

受け取った玉斗を地面に置き、剣を抜きこれを粉々に打ち砕いた。

「ああ!小僧は共に語るに足らぬ。項王の天下を奪う者は必ず沛公だ。

今に我々は沛公の捕虜となるであろう!!」と叫びながら。


亜父・・・「父に亜(つ)ぐ者」の意。それほど項羽に慕われていた。何時頃からそう呼ばれていたかは不明。


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