第二話:老人


ひに潜伏した張良は、ある日とても機嫌が良く、のんびりと散歩に出かけた。

橋の上を歩いていると、向こうから見るからに賤しい老人がやって来る。

老人の服装はひどく粗末であり、履物は汚れていた。

老人は張良の側まで来ると、いきなり履物を橋の下に落とし、わざとらしく張良に言った。

「おい、小僧。橋の下におりて履物をとってこい。」

張良はあまりの横柄さ無礼さに愕然とし、老人をぶん殴ろうとした。ああ、血気盛ん・・・(爆

が、相手は老人である。張良は不快な感情を抑え、下におりて履物を取ってやった。

しかしこの老人の横柄さは尋常ではない。また張良に命令して、

「その履物をワシにはかせろ。」と言った。

さすがの張良もキレ、怒り心頭に達した。

が、既に履物を取ってしまったし、張良は仕方なく膝をついて靴を履かせてやった。

老人は足に引っ掛けてそれを受け取ると、笑いながら去った。

張良は、老人の態度に何事かを感じ、憤然たる気持ちとともに去ってゆく老人の背中を追った。


老人は張良の視線に気付いていたかの如く、400m程行ったところでまたこちらへ戻ってきて言った。

「小僧、なかなかよろしい。教える価値がある。五日後の夜明けに、またここで会おう。」

張良は跪いて「承知しました。」と言った。

老人はそれだけ言うと、何処かへ立ち去った。

張良は非常に不思議な思いに駆られ、「この老人は何かを知っている。」と確信した。


五日後、張良は朝早く起きて、約束した橋まで行くと、すでに老人がいた。

張良は、「小僧。老人と約束しておいて、遅れるとは何事だ!帰れ!」と一喝された。

しかし老人は、「五日後、再び早朝に会おう。」と言って去った。

そのまた五日後、張良は「今度こそ」と日が昇る前に起きた。橋まで行くと、すでに老人がいた。

老人は怒り、「小僧。また遅れるとは何事だ!帰れ!」と一喝した。

しかし、また「五日後、もう一度早朝に来い。」と横柄に言った。


その五日後、張良は徹夜して深夜のうちに約束した橋で待機した。

しばらくすると老人がやってきて、「こうあるべきだ。」と嬉しそうに言った。

老人はおもむろに懐に手を入れ、絹束を取り出し、それを張良に突きつけて言った。

「小僧。これを読めば王者の師となれる。小僧は十年経てば世に出るだろう。」

そう言うと老人は背を向けて、立ち去ろうとした。

張良は焦り、「ご老人、お名前を・・。」と言うと、

「ワシか?  ふふ。 十三年後に、済北の穀城山(現在の山東省にある)の麓で黄色い石を見るだろう。

それがワシだ。」  老人は立ち去り、以後二度と会うことは無かった。

後に張良が穀城山の麓を通った時、黄石を見つけ、張家に持ち帰って丁重に祀ったという。

張良が死んだとき、彼の遺体と共に黄石も葬ったという。


その後、十年。張良は老人から託された『太公兵法』を熟読し、その真髄を探った。

その間、張良は引きこもってばかりいたわけではなかった。

積極的に任侠の仲間に入り、彼らと信頼関係を結んだ。

任侠たちは口には出さなかったが、張良が始皇帝を狙撃したことを知っており、皆畏怖した。


また、ある任侠の士から、殺人罪で追われている人を匿ってもらえないだろうか、との頼みがあり、

張良はこれを快諾した。

この匿った人物は、項伯(伯は字だと思われる。名は纏)といい、項羽の叔父であった。

その後、時代は変わり、項伯は甥項羽の陣営に入り、張良は劉邦の陣営に属した。

しかし、項伯は張良の恩を忘れず、敵味方関係なく何とかして恩返ししようとし、

それが歴史を変えた。

この項伯の「身を捨てて張良を救う」という行為が、劉邦に天下を取らせた一要因

であったことは言うまでもなく、劉邦もこれを恩に感じ、項伯は射陽侯に封じられた・・・。



こうして張良は十年の間、見聞を広げ来るべきときに備えたのであった。

もう張良には、「皇帝を刺せば天下は変わる」といった思想はかけらも無かった・・・



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