第六話:半独立
黥布が義帝を殺害した翌年、斉王・田栄が項羽に背いた。
項羽は自ら兵を率い、斉へ向かった。
当然、黥布も九江の兵を率いて参戦しなければいけなかった。
しかし、黥布は仮病を使って自らは出ず、部下の将軍に数千人の兵を連れて行かせただけだった。
項羽はこのことを根に持ち黥布を詰問したが、黥布は「病気が治れば出兵する」としか返事をしなかった。
項羽は斉でも鬼神の働きをし、
斉王・田栄は大敗し住民の手にかかって死んだ。
しかし、項羽は田栄の兵を全員(生き埋め)にし、住民を虐殺し婦女を犯したので、
田栄の弟・田横が斉の民・数万人を集めて反旗を翻した。
項羽は斉にとどまって歴戦したが田横はなかなか強く、殲滅できずにいた。
そんなとき、漢中で反旗を翻していた劉邦が、項羽が留守中の彭城に攻め寄せてきた。
その数、56万である。
項羽は、「彭城を救えるのは黥布しかいない」と考え、病気療養中(偽^^;)の黥布に彭城を救うよう命令を出した。
しかし、黥布はまたも仮病を使い、今度は出兵すらしなかったのである。
「劉邦が『反項羽!!』と叫んだだけで56万人もの兵が集まった。
項羽はもうおしまいだな。
ならば今は九江で傍観し、劉邦に恩を売っておいたほうがよい」
と思ったからである。
しかし、黥布は項羽の強さを甘く見ていた。
項羽は、黥布が救援軍を出さないと知ると、疾風のごとく南下し、
たった3万の兵で漢軍56万を粉砕し、劉邦の父と妻の呂后を捕えた。
これにより、項羽に背いていた諸侯も再び項羽に帰順を誓った。
漢は一気に苦境に立たされたのである。
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項羽は、黥布を怨んだ。
彭城を奪還した後、何度も黥布の態度を詰問する使者が九江に来た。
遂には、出頭命令までもが来た。
しかし、おめおめ出頭しようものなら殺されかねない。
よくても領地を召し上げられ、平民に落とされるであろう。
かといって、九江で兵を挙げても間違いなく負けるであろう。
戦闘・指揮能力においては、黥布と項羽は互角である。
しかし、兵力差がかけ離れている。
黥布は袋小路にはまった。
一方、項羽は黥布だけが頼りだった。
北では斉と趙に背かれ、西には漢の劉邦がいる。東は海で逃げ場がない。
頼みの綱は、南の黥布だけであったのだ。
また、項羽は黥布の才能を高くかっていて、敵にまわしたくないとも思っていた。
そんなこんなで、項羽はすぐには黥布を攻撃しようとは思っていなかった。
しかし、黥布は項羽の詰問を受け、追い詰められた気持ちであった。
反乱か、服従か、全く決心がつかず迷うばかりであった。
しょうがないので、とりあえず仮病を使って時間を稼ごうとしたのであった。