魏という国は、戦国期に中原を支配した国である。 王族の姓は姫(き)、後に国名に従って魏と改めた。 しかし戦国末になると西で国境を接する秦が肥大化し、北は趙、東は斉、南は韓と楚に接し、 韓と並んで最も防御しにくい国となってしまった。 秦は度々魏に侵攻し、紀元前293年には魏兵24万人を殺し、 紀元前274、273年には魏兵19万人が殺された。 王族の信陵君魏無忌(ぎ・ぶき)が必死に魏を支えたが、 彼の死の十数年後の紀元前225年に魏は滅ぼされた。 秦は魏王の一族を庶民に落とした。このとき庶民に落とされた魏の本家には、 ィ陵君魏咎(ぎきゅう)・その弟魏豹(ぎほう)、そして薄姫の母がいた。 まだ秦の始皇帝が健在の頃、呉から来た旅人が魏家に泊まった。旅人の姓は薄であった。 薄という姓は『史記』『漢書』『三国志』ともに殆んど登場せず、庶民だった可能性が高い。 この薄という男は魏家の娘に勝手に手を出し、妊娠させてしまった。 もっとも、娘が妊娠したと気付いた時にはもう薄という男は故郷に帰ってしまっていた。 しばらくして薄は会稽で死に、会稽山の北に葬られた。 一方、薄の子を身篭ってしまった魏家の娘は子どもをおろすわけにもいかず、 実家で赤子を生んだ。 これが薄姫である。 |