第二話:ゲリラ戦の天才 |
彭越と劉邦は共々昌邑を囲んだ。 が、昌邑の守りは堅く一向に落ちる気配すらない。 そうこうしている内に、劉邦軍と彭越軍の兵糧が不足してきた。 劉邦は戦の素人だったので、「昌邑なんかほっといて、早く秦の首都咸陽に向かおう」 とばかりに撤退を決めた。 彭越も「自軍だけでは戦えぬ」と思い、配下1万人を連れて本拠地である鉅野の沼沢地帯に戻った。 しばらくすると、劉邦が秦の首都咸陽を落とし、秦三代目の王を捕らえたという噂が伝わってきた。 彭越は、 「あの男・・・、やはりやりよったな・・・ わしの軍は奴の友軍ということになっとるから、まっ一国ぐらいはくれるだろう」 とも思ったりした。 しかし、その後すぐに急報が入った。 子分1「おっ、親分。てーへんだ!!」 彭越「騒がしいぞ。一体なんだというんだ?」 子分1「劉邦の野郎、項羽に功績をすべて譲ったそうで・・・・」 彭越「おいおい、それは奪われたと言うんだ。お前はアホか」 子分1「すいやせん。」 彭越「項羽か・・・。俺は、奴と一緒に戦ったことはないし、 奴の叔父が近くで戦死した時も助けなかった・・・。」 子分1「あれは定陶でしたな。まさか秦の全軍が集まるとは思いもしませんでした・・・」 彭越「まあ、恩賞は少ないと思っていたほうがいいな。 まあ、一万人が配下にいるからな。少なくとも数郡はくれるだろう」 そして、項羽の論功行賞が発表された。 彭越は無視された。 しかも彼の勢力下にある地は、項羽の直轄地・西楚になった。 彭越は怒った。 「俺は劉邦を助けたではないか。しかも、一度も楚軍に歯向かったことはない。 むしろ、友軍として活動した。 それなのに何だ?恩賞無しか? くっそ〜〜。俺の恐ろしさを教えてやる!項羽の青二才め!!」 怒ったのは彭越だけではなかった。 劉邦も、陳余も、田栄も、実力者はみな不満であった。 領土が狭すぎたのである。劉邦に至っては、秦の地を貰う約束を反古にされたのである。 しかし反乱を起しても項羽にかなうわけもなく、いらいらしていた。 しかし、劉邦は韓信という稀代の指揮官を得ていた。 韓信は元秦の地を奇襲し、あっという間に元秦の地を支配下に置いた。 斉の田栄も項羽に反旗を翻した。 陳余も項羽によって王に立てられていた張耳を討ち、趙・代の地を支配下に置いた。 再び、天下は乱れた。項羽の行賞がまずかったからである。 しかし、何度も言うが、項羽に戦争でかなう者はいない。 しかし、彭越だけは、 「項羽なんて小僧にゃ〜負けねえ。俺が戦の恐ろしさを教えてやる」 と、ひとり意気込んでいた。 早速、彭越は斉の地で反乱を起した田栄を訪ね同盟を申し入れた。 彭越の噂を聞いていた田栄は快諾した。さらに、将軍に任命した。 彭越は、梁の攻略を申し出た。もちろん、田栄は快諾した。 自軍を傷つけずに領土が増えるなら、こんなに喜ばしいことはない、といったところだろう。 彭越は、早速、梁の地を攻めた。 彼の戦法は、あくまでもゲリラであった。 彼の軍隊は神出鬼没で、楚守備兵は翻弄されつづけ梁の守備隊は疲れ果てた。 そうしているうちに、彭越は梁の幾つかの都市を落とした。 項羽は焦った。負けることを極端に嫌う性格だったからである。 項羽はすぐに蕭公角に兵を与え、彭越退治を命じた。 楚軍を率いて蕭公角が梁の地に到着した。 蕭公角は自身満々であった。なぜなら楚軍の兵数が彭越軍の数倍あったからである。 しかし彭越は余裕綽々であった。 「ははは。戦は数じゃねえ。」と・・・・・・・・ |