第四話:楚丞相


文帝が死に、景帝が即位すると、景帝は馮唐を楚の丞相に任命した。

当時、楚王は劉戊であり、暴虐であった。

景帝の中央集権政策で領土を削りとられ、同じ不満を持つ呉王と謀反の計画を立てていた。

魯の儒者穆生は楚を去り、申公と白生は王を諌めて囚われた。

馮唐も諌めても無駄と思い、穆生と同じく楚を去ったと思われる。

後に劉戊が呉の反乱に同調し兵を挙げた際、馮唐の後任であった楚丞相の張尚と

太傅の趙夷吾は王を諌め殺された。

劉戊は周亜夫に攻められ、兵は破れ自殺した。


景帝が死に武帝が即位し、天下の賢人を招いた時に馮唐が推薦された。

しかし、馮唐はすでに九十歳を過ぎ再び仕官することが出来なかった。

そこで馮唐の子の馮遂(字は王孫)を郎とした。

馮遂は司馬談(司馬遷の父)と親交があり、司馬談は馮遂を奇士と評している。


馮唐がいつ亡くなったのか、史書には書かれていない。


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