第四話:淮南王騒動その一


劉邦の末子であった淮南王劉長は文帝の異母弟ということもあり、身分をかさにきて横暴であった。

文帝の母、薄太后ですら彼を敬遠したほどである。

しかし文帝は残り少ない兄弟のことだから、と言っていつも見逃していた。

文帝三年(紀元前177年)に入朝したときには天子の馬車に同乗し、文帝を「大兄」と呼んだ。

大臣たちは皆苦々しく思ったが、天子が笑って見逃しているのでどうしようもなかった。


淮南王劉長は生母を救わなかった辟陽侯審食其をいつか殺してやろうと考えていた。

ある日、彼は突然老いたる審食其の邸宅を訪ね面会を申し入れた。

審食其が出てくると、劉長は隠し持っていた鉄鎚で脳天を叩き割り従者に首を打たせた。

そしてすぐさま文帝に目通りして肌脱ぎになって謝罪した。

文帝は弟の気持ちをくんでやり、罪を問わず赦してやった。それほど審食其が怨まれていたということもあるが・・・

劉長は領国淮南に帰るとますます傲慢になり、漢の法を無視し自ら法を制定した。

そしてなにもかも都の天子と同じようにした。


薄太后や大臣達はみな劉長を畏れ、思い切って諫言することができなかった。

おうはこの事態を苦々しく思い、進み出て文帝を諌めた。

「諸侯があまりにも増長いたしますと、必ず災いが起こります。罰を下し領地を削るのがよいかと。」

しかし文帝はこれを聞き入れなかった。


もう袁おうには淮南王の最期が見えていたに違いない。それでも袁おうは諦めずに諌め続けるのだが・・


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