第三話:建陵侯


景帝から信任された衛綰は河間王の太傅に任じられた。

河間献王は景帝の息子劉徳であり、学を好み事実を重んじた人柄であった。

蔵書は朝廷に匹敵するほどであったという。

呉楚七国の乱の時、河間王は呉楚に加担せずに義を守った。

そこで景帝は、衛綰を将に任じ河間の兵を率いさせた。

河間の軍は功績があり、衛綰は中尉に任命された。

三年後の景帝六年、軍功により衛綰は建陵侯に封じられた。


景帝七年、景帝は長男の太子栄を廃し臨江王とし、その母の栗姫の一族を誅した。

景帝は、衛綰は長者であり廃嫡を目の当たりにするのは酷であろうと考え、

休暇を与え家に帰らせた。

その間にに命じて栗姫らを捕らえ裁かせた。

結局、膠東王徹を太子とした。(後の武帝)


ことが落着すると景帝は衛綰を呼び戻し、劉徹の太子太傅に任じた。

衛綰は人を指導するに足る人柄であったようだ。


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