第二話:中原の動乱をよそに・・・ |
任囂が死んだ。 趙佗は早速、中国との国境を閉ざす命令を出した。 「賊がやって来ようとしている。急いで街道を遮断し、兵を集めて守備につけ。」 それをきっかけに秦の任命した官吏を法に引っ掛けて殺し、自分の仲間をかわりに任命した。 この頃、中央では劉邦・項羽が秦を倒し、項羽が覇王となりまだまだ混乱していた。 趙佗は中央の混乱をよそに、異民族を率い桂林と象郡を攻撃し併呑した。 これで南越の地はすべて趙佗の支配下に入った。彼は南越の武王と名乗り、勝手に即位した。 彼が異民族をよく統率したのは、彼の才能だけがそうさせたのではない。 彼は南越の風習である才槌髷(さいずちまげ)を結い、両足を投げ出したまま人と合った。 中国の礼法を全て無視したのである。だから彼は異民族から信頼されたのである。 趙佗は、南越から外には出ようとはしなかった。 彼は、中央での混乱が極に達したとき介入し、天下の一角に喰い込むつもりであった。 もし劉邦が項羽を倒せなかったら、趙佗・劉邦・項羽・韓信の四つ巴になっていたかもしれない。 まあ、南越は守るにはよい土地だったが、攻めて出るには不便な所だったから、 趙佗の南越は、三国志での蜀漢と同じ運命を辿ったかもしれない。・・・If話はやめよう。^^; 結局、趙佗の願い虚しく、劉邦が天下を統一してしまった。 劉邦は人民が疲弊の極に達し苦しんでいる現状をよく知っていたので、 これ以上軍隊を動かすつもりもなく、ひとまずは北の匈奴・南の南越も外交で済ませるつもりだった。 そこで、博覧強記弁舌爽やかな陸賈(りくか)を南越に派遣し、 南方の国境地帯を略奪しないことを要請し、長沙国(王は呉)との国境を取り決めさせ、 漢帝国の冊封体制に組み込み、ある程度の独立を認めた上で、漢の属国としようとしたのだが・・・ |