第八話:韓王殺される


劉邦は虎口を逃れた。

項羽は咸陽に入り、降伏した秦の三世子嬰をひきだして斬首し、秦の宮殿を焼いた。

この火は三ヶ月も消えなかったと史記は伝える。

そして、秦の財宝や美女をすべて没収した。


論功行賞の段になって、項羽と范増は劉邦の処遇に困った。

「はじめに咸陽を陥とした者を関中の王にする。」という約束があったからである。

そこで、函谷関の中(関中)という意味を広く解釈して、遠く巴・蜀の王とすることにした。

巴・蜀は、秦の時代は流罪の者が送られる地であり、異民族が多かった。

また、3000m級の山々が連なる秦嶺山脈に遮られて、交通が困難であり、

中原に代々住む者にとっては未知の世界であったであろう。


しかし張良はすでにこうなることを察知しており、劉邦再起のために最善の努力をした。

張良は、劉邦から下賜された大量の金や真珠をそっくりそのまま項伯に献上し、

さらに劉邦は張良を通じて別に手厚く項伯に贈り物をし、

漢中の地を加えてもらえるように頼み込んだ。

項羽は叔父の説得によって漢中を劉邦に加えて与えた。

これによって劉邦は三秦(秦の地が三分割されたのでこう言う)進出の足場だけは確保できた。


張良が見出した韓王族の成も領地をもらい、晴れて韓王となった。

張良は韓に帰り、韓成の補佐をすることとなった。

新韓王の韓成は世話になった劉邦の見送りに、張良を出した。

張良は遠く褒中(漢の都南鄭のすぐ近く)まで劉邦を見送った。

張良は離別に際して漢王劉邦に進言した。

「桟道を焼き払い、東へ帰る意図の無いことを示せば、項羽の気持ちは安らぎましょう。

その間に力を蓄え、再起をはかってくださいませ。」


こうして張良は劉邦の元を去った。

劉邦は、張良の進言通りに進軍しながら桟道を焼き払い、戻る意思の無いことを示した。

張良は韓の地に戻ったが、項羽は領主の韓成を韓へ行かせようとしなかった。

韓成がわざわざ張良を見送りに付けたことで、劉邦と何か繋がっているのではないかと

疑ったからである。

結局、韓成は項羽の本拠地彭城に連行されてしまった。


張良は、韓の地から項羽に書面を出した。

「斉王田栄は、大王に対して反乱を起こしました。

漢王は、自ら桟道を焼き払ったために東へ帰ることは不可能になりました。

後方の憂いは無いので、すぐさま斉を討伐するべきでしょう。」

この書を受け取った項羽は、劉邦のことを懸念する気持ちを無くし、兵を整えて斉へ向った。


その間、劉邦は韓信を得て、陳倉に抜ける旧道を補修してそこから進撃し、

雍王章邯を破り、三秦の一つである雍の地を手に入れた。

このため韓王であった韓成は結局領地に一度も赴くことなく、彭城で殺された。

張良は韓王斬殺の報を聞くと密かに韓の地を抜け出し、間道伝いに劉邦の元に逃げた。


張良が到着したときには、劉邦がちょうど三秦をすべて平定したときだった。

劉邦は張良の到着を喜んだが、この婦人のような男が故国韓の為に

命をかけてきたことを思い、言葉もなかった。

劉邦は、張良のために韓王族の信(韓信とは別人。韓王信と呼ばれる)を韓王にすることを約束した。

そして張良を成信侯とし、直属の部下とした。



項羽は最も怖い男を敵にまわしてしまった。

これ以後、張良は劉邦の謀臣として項羽討滅に全力を尽くすのであった・・・


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