第七話:鴻門


劉邦は項伯に言われた通り、項羽に謝罪すべく百余騎を従えて鴻門へ向かった。

鴻門に至り、劉邦は張良一人を従えて項羽と会見し謝罪した。

劉邦 「臣は大王と力を合わせて秦を攻めました。

大王は北で、臣は南で戦い、たまたま臣が先に関中に入りました。

この地で再び大王にお目にかかれるとは思いもよりませんでした。

ところが、小人の中傷があったようで、大王と臣の間に隙間が生じてしまったのです。」

項羽 「中傷・・・。きみの左司馬の曹無傷という者が、

きみの有ること無いことを言い立てたのだ。

そうでなければワシがきみを疑ったりはしない。」


こうして項羽の紳士的態度によって劉邦は救われた。

この優しさが項羽の特徴でもあった。


項羽は劉邦を留めて酒宴を開いた。

項羽と項伯が並んで東に向って坐り、亜父范増が南に向って坐った。

劉邦は北に向って坐り、張良は西に向って坐った。

范増は元々劉邦を殺すつもりだったので、項羽に意味ありげな視線を送ったり、

身に帯びている玉けつをあげて合図したが、

項羽はもう劉邦を許していたので、気付かぬ振りをして黙然と酒を飲んでいた。

范増は項羽の人の良さを怒り、席を立って外に出、項荘(項羽の従弟)を召し寄せて

「剣舞にかこつけて劉邦を刺せ」と命じた。

項荘は宴席に入り、項羽の許しを得て剣舞を舞い始めた。

張良、劉邦、項伯はほぼ同時に彼の意図に気付いた。

しかし、張良と劉邦は下手なことは出来ない。

すると項伯が立ち上がり、剣を抜き放って項荘に合わせて舞い始め、身を挺して劉邦を庇い続けた。


張良はもう見ていられなくなり、酒宴を抜け出して軍門まで走り、樊かいに言った。

張良 「事態は甚だ切迫している。

今、項荘が剣を抜いて舞っているが、明らかに沛公を刺そうとしている。

項伯が庇っているが時間の問題だ。」

かい 「そ、それは一大事です。臣は宴席に入って沛公と共に死にましょう。」


そう言うなり、樊かいは盾で軍門衛士を吹き飛ばし、ついに宴席へ侵入した。

かいは西に向って仁王立ちになり、目を怒らせて項羽を睨みつけた。

項荘の剣舞は、この樊かいの闖入によって妨害され終わった。


項羽はこの男を珍しく思い、言った。

項羽 「そなたは何者だ。」

張良 「この男、沛公の陪乗者で樊かいと申します。」

項羽 「壮士である。彼に大杯を取らせよ。」


かいは立ったまま酒を飲み干した。

項羽は「彼にてい(豚の肩肉)を与えよ。」と命じた。

料理人は意味がよくわからず、生肉を出した。

かいは盾を地面に置き、剣を抜いて肉を切って喰らった。

項羽は苦笑した。そしてさらに酒を勧めた。

かいは項羽をなじった。

「臣は死さえ避けません。酒ぐらいでどうして辞退しましょうか。

かつて『まず秦を破って咸陽を陥とした者を関中の王とする』と懐王と盟約いたしました。

いま、沛公は最初に咸陽に入り、秦の財物を少しも私有物にすることなく、倉庫を封印し、

覇上に陣取って大王をお待ちしておりました。函谷関を守備したのは賊に備えるためでした。

それなのに大王は小人の中傷を取り上げ、功績の多い沛公を誅殺しようとしておられる。

これでは秦のやり方と変わらないではありませんか。失礼ですが、大王のために惜しみます。」


項羽は黙然とし、「まあ、坐れ。」とだけ言った。


気まずい沈黙が流れた。劉邦は廁(便所)に立った。張良・樊かいも立って護衛した。

項羽は陳平(この時はまだ項羽配下)に命じて劉邦を呼び戻させた。

しかし劉邦は張良に後のことを託し、徒歩の樊かい・夏侯嬰・紀信・きん彊だけを連れて覇上へ帰った。


張良は劉邦が安全な地まで逃げた頃を見計らって宴席に戻り、謝罪して言った。

張良 「沛公は拝領した酒の酔いに耐えられず、

辞去の挨拶を申し上げることができませんでした。

沛公はこの良に命じて、白壁一対を大王に謹んで献上するように、

そして大将軍(范増のこと)に玉斗一対を謹んで献上するようにと仰せになりました。」

項羽 「沛公はどこにいるのか。」

張良 「沛公は、大王に過失を責める意志がおありになると聞いて、

恐れてただ一人立ち去りました。もう軍陣に着いている頃でしょう。」

項羽 「・・・そうか。」


張良も辞去し、劉邦のもとへ戻った。


こうして、項伯・張良・樊かいらの命がけの活躍によって劉邦の命は救われた。



張良がただの柔和な男だったら、たちどころに項羽に殺されていたであろう。

張良には、始皇帝を暗殺しようとした、あの気迫があったのである。

項羽もその気迫を感じたのではないだろうか・・・・・・


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